12 瓶詰



 珍しく、朝早く登校してきたタキに「おはよっす」と声をかけ、タキの前の席に座って後ろを向く。

 「タキは、彼からの愛情と、彼への愛情、ベクトルは同じぐらいなのかね?」
 両人差し指をつなげて見せた。
 「なんでそんな、朝っぱらからいきなりだなぁ」
 「答えよ、さもなくば撃つ」
 その人差し指をタキへと向けた。
 「どっちかっつーと、彼からのベクトルの方が長いんじゃない。結構束縛されるし」
 「へぇ、離れてても束縛って、あるの?」

 遠距離恋愛では何をやってもばれない、そんなある種悪い考えを持っていた私なので、驚いた。見えないんだから、どうとでもなるじゃないか。
 「あるよ、毎日決まった時間に携帯に電話が来て、誰と何をしてるのとか、電話替わってとか言われるし。家の電話にも掛かってくるしね。男が少ない学校で良かったよ」
 自称ドMのタキが、Mの片鱗も見せずにスパスパと喋るのが私には愉快だ。彼の前ではきっと超ドMなのだろう。

 「そんで、ミキさんの言いたいことは何だね?ベクトル関数なら高校に戻って勉強してくれ」
 ペンケースを開いて、白衣のポケットにペンを差し込んでいく。そのしぐさを暫く見ていた。
 「何考えてんの?」
 「ベクトル」
 そう言って腕を頭の後ろへ回し、天井を仰ぎ見る。今日もいつもと変わらず、無意味に整列した穴が開いている、白い天井。

 「私とユウのベクトルは、長さは同じでも、形――そう、形が違うような気がするんだ。ユウは真直ぐで、私のは何というか、ジグサグ?」
 「それ、火遊びの事?」
 「うん、それベストアンサー」
 浮気、と言われなくて良かった。

 「ジグザグでもいいんじゃない?案外相手だって、真っ直ぐじゃなくて、一捻りしてるかもしれないよ。気付かないところで」
 「そうやって私を不安神経症にさせるつもりかっ。」
 タキの携帯ストラップについていたさるぼぼをつまみ、喋らせる。
 「不安になるんだ?案外可愛いところがあるじゃないかー。」
 「案外は余計だ。何せツンデレだからな。デレると可愛いんだぜ」
 ブイサインをかまし、自分の席へ戻った。丁度登校してきたレイちゃんに「おはよう」と挨拶した。


 風が少し淋しい匂いを運んでくる秋。ちらほらと就職決定の声が聞こえるようになってきた。
 初夏、早々に就職を決めた私だが、その頃周囲はまだ就職活動を始めていない時期だった。私は、タキと2人学校推薦を貰い、「大手」というだけの理由で試験を受けた会社に採用された。
 タキは不採用となったが、その後クラスのほぼ全員が受けた公務員試験を唯一突破し、隣接する市の病院へ就職を決めた。
 レイちゃんは静岡にある大学病院の研究室に就職を決めたので、4月から、正しく言うと3月から、静岡に住居を移す。

 特論の真っ只中、就職試験や国家試験対策の勉強、バイト。それぞれが打ち込まなければならない事は山積みだった。
 自宅では集中して勉強が出来ない私は、学校にいる時間に国家試験の勉強をしている。図書室に行けば参考文献は豊富だし、教員をとっ捕まえて教えてもらう事もできる。
 今日も特論の実習を終え、教室で勉強をしていた。私の他には数人が、輪になり話をしていた。

電話に着信があった。田口だ。
 「もしもしぃ?」
 『俺だけど』
 輪になって話す声がどっと大きくなったので、廊下へ出る。

 「オレオレ詐欺なら間に合ってます。それでは」
 『おい待て。お前いつもそのネタだな』
 ククッと笑って田口は続けた。

 『お前さ、この前、小田の車、乗ってたよなぁ』
 あぁ、そうか。田口にはよりを戻した事を伝えていなかったんだ。
 「乗って、たねぇ。田口君、君の眼はスカウターか何か搭載しているのかい?戦闘力いくつだった?」
 『搭載してねーよ。たまたま見掛けたんだよ。ユウの家の近くで』
 ユウの家と田口の家はご近所だ。見られてもまぁ、仕方がない。
 『そんで、どうなってんの?』

 廊下のひんやりとしたリノリウムの床に座り込む。お尻から、冷たさがしみてくる。
 「どうなってんのって、そういう事だよ。元鞘だよ。あちら様が女と別れたんだと」
 『別れたからって元の彼女のとこにふらっと来るのかよ。小田も小田だけど、受け入れるお前もお前だよな』
 田口には、ユウと別れた時に服を返すのに付き合ってもらった。そんな事に付きあわせておいて、そりゃ「おい」って、なるわ。

 「悪い。あんな事に付きあわせておいて」
 少し長くなってしまった前髪に、指先でくるくると巻いては逃げられる。
 『お前、それでいいのかよ。情に絆されてるんじゃないの?』
 田口エスパー発揮。自分でも薄々感づいていながら認めたくない部分だった。ましてや他人に指摘されたくなかった。情に絆されている、という言葉。
 「刺さった、今の急所に刺さった。ゲホッゲホッ」
 電話の向こうの田口には見えないが、左胸を抑える仕草をした。

 『俺が言う事じゃないけどさぁ、お前、もっと自分を大事にした方がいいと思うよ。今のお前は、色んなことに翻弄されてるのを、感じない振りしてるんじゃないの』
 左胸の嘘の痛みから一転、次は本当に目頭がジンジンした。なんでコイツ、こんなに痛いところを突いてくるんだろう。
「――お前は私の――と、父ちゃんかよォ」
 泣きそうになるのを堪え、声に出てしまわないように腹に力を込め、それからカラっと笑った。

 情でユウに寄り掛かり、一方でサトルさんを想い――何てずるい女なんだ。
 『ま、何かあったら電話寄こせよ』
 「ありがと、パピー」
 携帯を切った後、しばらく動けなかった。背をもたせ掛けた壁からも冷たさが伝わる。 身体が冷えて行く。心も冷えていく。

 ――自分を大切に、か。

 よっこらせっ、と声に出して立ち上がり、お尻についたゴミを払った。
 今日は勉強に集中できそうもない。家に帰ろう。


 自室のベッドに横になり、大きく息を吸った。頭上にある窓から外を見ると、今日は綺麗な満月が浮かんでいる。オレンジとも黄色ともとれるその球体の表面に浮かぶグレーの模様が、どうしたらウサギに見えるのか考える。
 冷気が入り込む気がして、すぐにカーテンを閉めた。もう、冬はすぐそこだ。
 部屋を出ようと立ち上がると、携帯の着信音が鳴り、足を止まる。今日はよく電話が来るな。ユウだろうか。
 画面に表示された名前は「サトルさん」だった。

 『あ、こんばんは。今電話してて大丈夫かい?』
 ベッドに座り直して姿勢を正す。変な汗が出てきた。
 「はい、大丈夫でーす」

 タイミングの神様に見放されたというメールを貰って以来、連絡をとっていなかったので驚いたのと同時に、嬉しかった。あぁ、ずるい女。

 『来月あたり、また何か料理を作ってご馳走しようと思ってるんだけど、どうかな?』
 「あぁ、行きます行きますっ」
 ベッドに座りながら、2回跳ねた。
 『何かお酒のつまみになりそうな物を作るから』

 前回と同様か、それ以上の踏み込んだ関係に発展するであろう事は察しがついた。それでも良いと思った。ユウには悪いが、私が思うとおりに行動してみようと思う。
 「うん、それじゃぁビールとか何か買って行くよ。いつにしよう?」
 壁掛けカレンダーと睨めっこをしながら日取りを決めた。

 電話を切ってから、勝負パンツ買わなきゃ、と思った。
 「一応ね、一応」
 部屋に入ってきた猫に、そう告げた。



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