17 疾走



 時が止まればと思った。
 しかし試験はやってきた。

 試験会場の最寄駅でレイちゃんと待ち合わせた。駅に着くと既にレイちゃんの姿があった。凛とした姿に、余裕を漂わせている。
 「おはよう」
 「おはようミキちゃん。ねぇあの後、サトルさんのとこに行ったの?」
 ばつが悪いとはこういう事か。首の後ろを掻いた。
 「はい、お察しの通りでぇす」
 はぁー、とレイちゃんの長い溜息が聞こえた。
 「ミキちゃんの行動力には感心するよ、ホント。試験が終わったら色々聞かせてね」
 褒められているんじゃない事ぐらい分かった。呆れてるんだ。でも今は、何だかんだ言っている余裕はない。

 「とりあえず、今日は頑張ろう。この土日は部屋にこもって勉強したからね」
 シャドウボクシングをする私。何故この会話でこの動き。
 「戦うのは会場でね。それと、この土日はきちんと家にいた事に逆に驚いたよ」
 どんだけ遊んでると思われてるんだ。そんな尻軽女ではない。

 今日はこれまでの集大成。できる限りの事はやった。あとは仮採点の結果を待つのみだ。
 帰り道、ファストフード店でレイちゃんと自己採点をした。結果はギリギリ6割。採点ミスがあれば合格にも不合格にも転ぶ、とても微妙な採点結果となった。
 「あとは学校での仮採点の結果がどうなるかだねぇ」
 レイちゃんは間違いなく6割を越えている。安心だ。私の行動が彼女の心を乱すようなことにならず、安堵する。

 「私、口に出しては言わなかったけど、ミキちゃんの事がほんっとに心配だったんだ」
 強い目線で見つめられた。私はホットコーヒーに伸ばそうとした手を止めた。
 「え、なになに、何が?」
 「家で殆ど勉強しないって言ってたし、サトルさんには急に会いに行っちゃうし、試験前でも彼氏の事とかサトルさんの事考えてるし、ミキちゃんの試験結果が本当に心配だったんだよ」
 苦笑いするしかなかった。コーヒーを一啜り。苦い。今はこれ位が丁度良い。
 「ごめんね、心配かけて。まぁ、不合格なら自業自得、合格なら儲けもの、ぐらいに考えておくよ」
 友達に心配されていただなんて。私はてっきり、呆れられていると思っていた。あぁ、何て良い友達に巡り合えたんだ。

 「それで、彼とはもう連絡解禁?」
 考えないようにしていた懸案事項が――。
 「実は、サトルさんの家に行った事がユウにばれちゃったんだよね。それから連絡が途絶えた。音信不通」
 レイちゃんは、言わんこっちゃないという感じに顔を顰めた。
 「二人の男の人と、うまい事やっていくなんて、土台無理な話なんだよ。絶対ボロが出るよ。クリスマスの時にも言ったけどさ。浮気だもん」
 レイちゃんのいう事は尤もだ。現に、ボロが出た。

 「ユウには私から謝罪なり何なりしてみるつもりだけど、ダメならもう、別れるしかないな。振られるのを待つ」
 誠意のない行動をした私には、選択権はない、という事だ。
 「そうしたらサトルさんと付き合うの?」
 「好きって言うチャンスはあったのに、言えなかったんだ――」

 暫く沈黙が流れた。レイちゃんはコーラを飲み、私はマドラーでポーションミルクのカップをクルクル回していた。
 沈黙を破ったのは私だ。
 「失うのが怖くってさ。好きって言っちゃったら『ごめん、つきあえない』で終わりかもしれないでしょ?だから、『大切な人』って伝えたんだ。」
 「そしたら何だって?」
 「嬉しいって、言ってくれた。んで、セックスした。」
 「セ・フ・レ。」
 人差し指で何もない空間にキーボードでもあるかのようにノックするレイちゃん。
 「何とでも言ってくれー」

 「でも、好きって言って、『俺もだよ』って言われる展開は、考えなかったの?悪い方にしか考えなかったの?」
 確かにそうだ。何かを考える時は、必ず対となる事を考えるのがスジだ。今日の夕飯はカレーかシチューか。魚か肉か。レイちゃんはコーラかコーヒーか。お盆か正月か。私は、悲観主義者なのかもしれない。
 「考えなかったんだろうね。今になって思う。サトルさんって、何と言うか、ふわふわしていて、何を考えてるのか分からない感じがあるんだよね。掴みどころがないとか言うのかな、こういうのって。もう中学生でもないし、相手が自分を好いている確信もなく『好き』なんて言えないよ。傷づくの、怖いし」

 もっと若いころはなぜあんなに大胆な行動がとれたのだろう。1度も話した事が無い先輩にいきなり告白をするとか、振られたらその後居づらくなるだろう同じクラスの男子に告白したり。あぁ、恐ろしい、若さという物は。


 自宅に戻り、ユウにメールをした。言い訳をするか、謝るか、色々と逡巡した結果、ストレートに『試験が終わりました』とメールした。すぐに返信はなかった。

 4日経ったところで、ユウの友人であるテツに電話をした。
 「ユウと連絡がとれないんだけど」
 『あぁ、ユウは今スノボ行ってるっぽいよ。何、急用?』
 ベッドに寝そべって、小さなぬいぐるみを天井に向かって投げては取る。
 「急用じゃないだけど、暫く連絡がとれなくて」
 投げたぬいぐるみがあさっての方向へ飛んで行った。こうやって飛んで行っちゃうのかな。。
 『ユウに何かしただろ、何か怒ってたけど』
 「あぁ、そうなんだ。怒らせるような事をした自覚はあります」

 やっぱり「家庭教師のお兄さん」事件は、ユウを怒らせるには十分すぎる出来事だったのだ。
 『まぁ連絡するようには、俺から言っておくよ。何があったのか知らないけど、反省はしてんだろ?』
 反省?あんな事があって、それでも後日、サトルさんの家まで行って、セックスまでしてきた私は、反省なんて――どちらも失いたくない狡猾な私は、嘘を吐く事しか思いつかなかった。
 「してますしてます。頭がめり込むぐらいに土下座しちゃう。サービス」
 『ハハハ、んじゃその通り伝えておくよ』


 その後、1時間もしないうちにユウからメールがきた。今は北海道へスノーボード旅行中で、お土産を買って行くから、という素っ気ない内容だった。例の件には一切触れていなかった。
 私はメールで謝るつもりはなかった。謝るなら、顔を見ながらすべきだと思った。
 ただ、何のお咎めも無いユウのメールを読み、「ただ友達の家にいただけ」、とか、そんな風に思ってくれてたら、という全く絶望的で浅はかな、一縷の望みをかけていた。



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