19 絆創膏



 「もしもーし、何すかー?」
 『そのやる気のない出方、やめろよ』
 田口からの電話だった。エスパー田口、色々と探られそうだ。警戒せねば。
 『お前、試験終わったんだろ、どうだったの?』
 「多分受かってる。4月にならないと分かんないんだ」
 1人暮らしを始めた事を田口に伝えていなかったので簡単に伝える。
 『え、マジで?今から酒持って行っていい?』
 「いいよ、その代わり私の合格祝いな。酒代は田口持ちで。」
 簡単に家の場所を説明し、私は頃合いを見てアパートの前で待っていた。川沿いに植えられている桜の木のつぼみは、日々赤みを増している。そろそろ開花するんだろうか。部屋から花見ができるだろう。
 あの日以来、ユウからは何の連絡もない。確実に、以前の関係が崩れている。崖崩れの前に、ほんの一欠けらの石が、サラサラと崖を伝って落下してくる。今はそんな状況だ。
 聞き覚えのあるバイクの音がして、私は手を振って出迎えた。

 「まずは乾杯な」
 お互い目の前にあるビールの缶をプシュっと開け「乾杯―」
 「マジでおめでとう」
 「ありがとう。受かると思ってなかったよ。男に現を抜かしてたからなァ」
 ブッとビールを吹き出して笑いながら田口が言った。
 「笑わせんなよ、吹いちゃったじゃんか。でもお前らしいよ、それ」
 近くにあったティッシュを田口に渡す。
 「拭いて差し上げましょうか?」
 「そういうのが悪いんだよ、お前は。そういうのでコロっといくバカがいるんだよ」
 私の勘違いでないのなら、田口の顔は赤くなっていた。
 「『俺は馬鹿ではない』、と仰りたいんですか?」
 人差し指で強く指さした。
 「俺はな。そんなトラップに引っかからない」
 「トラップじゃねーし。親切心だし」
 女友達とは違う、このゆったり感。何だろう。これだから男友達が必要なんだってば。
 「それで、どんな風に現を抜かしてたんだよ。小田はどうした?」
 崖崩れ寸前だよ、彼とは。
 「付き合ってるよ。だけど浮気してるのがさっくりとバレたっぽい。だけど向こうはそれを言ってこない。分かってるのに分かってない振りをしてるのか、本当に気づいてないのか分からない」
 お前、と目の辺りを抑える田口。
 「大概にしろよ、なにそれ。浮気がバレたとか、普通の事のように言ってんの」
 「そうだよね、非日常だよね、浮気なんて言葉」
 田口の言葉はお父さんみたいだ。お父さんに怒られてるみたいだ。ま、私の父親は殆ど家にいない父親だから、まずこんな話はしないんだけど。
 「で、小田ともう1人、どっちが本気なの」
 それはビーフシチューとビーフハヤシのどちらが好きなのかという問いに似ていた。
 「前にね、田口に言われて気づいたんだ。ユウに対しては愛情ではなくて情がかなりを占めているようなんだよね。もう1人の人の事は本当に好きなんだけど、その人、何考えてるのかわかんない人で。好きってうまく伝えにくい相手。どっちも好きな事には変わりないんだよ」
 チーズ鱈の袋を開け、2本をぶらぶらして見せる。「どっちもね」
「お前、前に俺が、自分を大事にしろって言ったよな」
 覚えている。あまりにも自分の心に浸みこんで、涙ぐんでしまった言葉だ。
 「覚えてるよ。勿論」
 「お前、その2人に一気にそっぽ向かれてみ?掠り傷じゃすまねーぞ」
 そうだよ。だからこそ、サトルさんには好きって言えないし、ユウの事だってつなぎ留めておきたいんだ。
 「そっぽ向かれない努力をする」
 「お前がしたって仕方ないんだよ、バカ。相手に見限られるって事があるだろうが」
 田口がグイっとビールを一気に飲み干す。何で私、怒られてるんだろう。もう1本のビールを田口に手渡した。
 「でもまぁ、腹が据わってるんだったら、万が一、両方にそっぽ向かれてイテェイテェってなったら、話だったら俺が聴いてやんよ」
 目を伏せたまま、私は少し顔を綻ばせた。
 「お前、超いい奴」
 田口の肩をバシっと叩く。「いてっ」と声を上げる田口。
 「結局、てめぇの事はてめぇで決めて行くしかねぇんだよ」
 フゥーっと、田口はビールの匂いがする吐息を吐く。
 「そうだな。もう1人の人とは、身体だけの関係でもいいって、割り切っちゃってるんだ」
 付き合えない、他に好きな人がいる、そんな風に拒絶されるぐらいなら、いっそ身体だけの関係でいい。その時だけは愛してもらえる、それでもいいと私は心に決めたのだ。欲を言えば、それ以上を望んでいる訳だが。
 「何か、ユウとはうまく行かなくなるような気がするんだ。何となく、この前会った時にそう思った」
 「それはそれで、整理がついていいんじゃねぇ?お前があれこれ考える事が減る訳だし。何しろ『浮気』っていう聞こえの悪い言葉におさらば出来るんだし」
 「そうだよね」
 それでも今回の、浮気がばれてしまった(かもしれない)一件に関しては、私が100パーセント悪い訳で、だから私は自分から別れを切り出すことはしない。ユウから別れようと言われるまでは、求められればセックスもするし、デートもする。
 話していたらもう日付が変わっていた。
 「泊まっていきなよ、私の大切な男友達さんよぉ」
 そう言って、2組の布団の間にカラーボックスを挟み、眠りについた。勿論、田口との間には何も起こらなかった。田口は仕事の為に朝早く、帰って行った。



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