20 ノックアウト



 入社式を翌日に控えた3月最終日。家の窓からは満開の桜が見えている。近くの公園にはきっとお花見客が溢れているに違いない。明日着て行くスーツをクロゼットから出し、埃をとった。明日から、社会人か。
 ユウも田口もとっくに社会人。私は3年遅れて社会人スタートだ。
 何となく、ユウに電話がしたくなった。一緒に桜が見たいな、と思った。
 サトルさんに電話がしたくなった。もう長野に行っちゃったかもしれないけど、会いたいなと思った。仕事をしてお金をためて、長野に行ってみたい。
 まずはユウに電話をしよう。携帯の、1番に出てくる電話番号に電話を掛ける。
 「もしもしユウ?」
 「うん、今仕事帰り」
 「運転中?」
 「渋滞中」
 「一緒に桜がみたいなと思って電話してみたんだ」
 「もう、やめようよ」
 瞬時にその言葉を飲み込む事が出来なかった。――え――今、何て?
 「もうさ、俺、面倒になってきた、こういうの。全部終わりにしたい」
 座っている筈なのに、猛烈な眩暈が起こる感覚。目の前の光が暗転し、マーブル模様を描く。桃色だった桜が全て、モノクロになる。全部終わりにしたい。面倒になってきた。ユウの言葉が頭の中で反芻する。凄く短い時間で思考は私の頭に理解を求め、最低限の言葉を吐かせる。
 「うん、わかった。それじゃ――元気でね。」

 あっけなく、幕引き。
 携帯の一番に出てくるユウの情報の「削除」ボタンを押した。

 あの日、ユウは何を思って私を抱いたんだろう。他の男に抱かれたかもしれない私を、何故抱いたんだろう。きっと決定的な何かを探したんだろう。サトルさんという、他の男に抱かれた痕跡を。匂いを。足跡を。お目当ての品は、発見出来たんだろう。

 私は「浮気者」から、ただの「片思いする女」になった。
 これでいいじゃないの。考える事が1つ、減ったんだから。
 あとは考えても考えが及ばない、ふわふわしている人を追って行こう。
 掴みどころのない、ふわふわの、彼を。


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