3 堕ちる



 人生で1番痛い失恋を経験した私は、それから3日間、レタスしか口にせず、ユウの事を思い出しては泣き、目を真っ赤にしていた。そしてまたレタスを食べる。まるでウサギだ。母もそれに付き合ってくれ、食卓の私の席には、レタスとポン酢とお味噌汁しか置かなかった。
 「あんたと彼氏は最初から合わないとお母さんは思ってたんだよ」なんて言って元気づけようとしてくれたりした(逆効果)。

 失恋の傷を癒すというつもりではなかった。色々な男の人が見てみたい。自分の「魅力」がどこにあるのか、探る事が出来るかも知れない。そんな軽い気持ちで「メル友」というモノを作った。
 サトルさんはその「メル友」の1人で、幾度となくメールのやり取りをしてきた。
 3月下旬。実際会って話そう、という運びになった。
 サトルさんは緑色のTシャツの上に、グレーのパーカーを着ていた。1つ1つの着衣のセンスが良く、端正な顔立ちも相まって「あぁ、素敵な人だ――」と心惹かれた。これは、一目惚れってやつだ。

 駅から出て、桜が少しずつ芽吹いている川沿いを歩いた。まだ少し肌寒く、今年は桜の開花が遅い。ドブのように濁った川は、初春の風を受けて少しだけ揺れていた。ドブ川の臭いが鼻腔を突くような気がして、なるべく深く息を吸い込まないようにした。澄んだ川なら絵になるのに。
 メールでお互いの近況は報告し合っているので、定型文の様な話題(趣味は?出身は?の様な)はなく、初めから話が弾んだ。
 淀んだ川を背にして、路肩の段差に座って談笑した。ここは車が通らない道。私は足を投げ出して紫色のスニーカーを左右に揺らした。サトルさんの顔が見たいが、照れ臭かった。

 話が途切れたところでサトルさんが顔を覗き込んできた。
 「煙草、いい?」
 「どぞ」と言うとサトルさんは黒い鞄のポケットから緑のマルボロを取り出した。見慣れた煙草だった。ユウが吸っていたから。
 サトルさんは大学を卒業してプログラミングの仕事をしている。年齢はサトルさんが私の三つ上だ。

 「ライブは、今月も行くの?」
 「うーん、しばらくないな。就活も始まるし。7月は渋谷にスカルディのライブを観に行くよていなんだけど」
 「ふーん、ミキちゃんさぁ」
 サトルさんは座っている私の頭から脚まで見て言った。
 「そういう格好で、ライブ観に行くんでしょ。動きやすそう」
 初めて会う男の人に「動きやすそうな服」と言われた。運動部かよ。「しまった」と思った。初めて会う人の前で、こんな汚れた「古着」は、着てくるべきではなかった。無意識にタイムマシンを探す。私を過去に引き摺って行ってくれー。もう少しお色気路線で攻めるべきだったか。そもそも攻めるほどの色気は持ち合わせていないのだけど。

 「アハハ、そうだね。ごめんね、初めて会うのにこんな格好してて」
 素敵な人を前にすると緊張する。端正な顔立ちどころじゃない、かなり整っている。恥ずかしくて顔を直視できず、チラ見する事しか出来ない私はサトルさんにとって、かなり変な奴だったに違いない。
 「そういう意味じゃないよ」
 とサトルさんはフォローをしてくれた。何て良い人だ。

 その後、サトルさんは仕事があるとの事で、横浜駅で別れた。
 「またメールするよー」
 工事中の駅の改札に向かうサトルさんの声に「はーい」と返事をし、右手を振った。

 古着屋にでも寄って帰ろうかと思っていたのだが、何だか胸のドキドキが抑えきれず、買い物しながら発狂してしまいそうだった。こんな時は大人しく電車に乗って家に帰るに限る。家に着くと夕刻を回っていた。
 一目惚れって、こんな感じなんだ。大したこと――あるっ。

 その夜、サトルさんからメールが来ていた。いつも通り、長文の、比喩が独特で面白いメールだった。胸を撫で下ろした。もうメールが来なかったらどうしよう、そう思っていたからだ。


 「で、どんな人だったの?」

 レイちゃんはコーラのプルタブを引いた。プシュッっと音がする。レイちゃんは毎日、昼休みにコーラを1缶飲む。炭酸が極めて苦手な私からすれば、レイちゃんがとても男前に見える。見た目も中身も私より数倍、女の子なんだけど。
 「うむ、それがかなりツボな人だったのだよ。見た目は150点。話も面白いし」
 「満点超えてるね、それ。ミキちゃん、坊主頭の人好きだもんね。おしゃれだった?」
 「かなりオシャレ。1つ1つのアイテムにお金が掛かってそうな人っているじゃん。そんな感じ」

 清潔感があって、だけどカジュアルなサトルさんの服装を思い出しながら、烏龍茶をひと口すすった。口の中を細い苦みがすり抜ける。
 「ひぇー、ミキちゃん好きそう。いいなぁ、その後、連絡は?」
 「夜にメールが来たよ、また遊ぼうって書いてあってホッとしたよ」
 「フフフー、楽しみだねー。一目惚れって奴?今後が楽しみだねー」
 レイちゃんは含み笑いをしながらゴクリと2回、喉を鳴らしてコーラを飲んだ。
 「スカルディのライブに行く話とか、したよ。何かとレイちゃんの名前出しちゃったけど、ごめんねぇ」

 1人暮らしをしているレイちゃんの家には、頻繁に泊りに行っている。ユウ夜遊びするために、母に「レイちゃん家に泊まる」と嘘を言った事もしばしばある。レイちゃんはその度にアリバイ工作に協力してくれる。
 洋服の趣味、音楽の趣味が合うので自然と一緒にいる時間が長くなった友達だ。女子特有の「グループ」を嫌う私は、いくつかのグループから時々、自分と気が合いそうな友達を「引き抜き」する。その1人がレイちゃんだ。性格は女らしく、私とは正反対だが、相補するような関係なのだろうか、とても安心できる。もう1人はタキ。タキは私と似た性格なので、一緒にいて飽きないし、己の汚い部分をさらけ出して話ができる貴重な存在だ。
 来月のスカルディのライブは、レイちゃんの高校時代の友達がチケットを余分に取ってくれたものだ。

 サトルさんはスカルディ、聴くのかなぁ――。
 午後の講義に使う教科書をパタパタと重ねながら、そんな事を思った。



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