36 花魁



 珍しくサトルさんが、「仕事で横浜まで行くから、横浜で会わない?」とメールをしてきた。勿論断る理由もなく、承諾した。
 
 白いスキッパーシャツにデニムを履いていた。もう坊主はすっかりやめたのか、この日も短髪だった。丁度スタジオリハの日だったので、「悪目立ちするから」とギターをコインロッカーに預けた。
 「どうする?どこ行く?」
 身軽になった身体でぴょんぴょん跳ねながら訊いた。
 「そうだねぇ、ゆっくり話せるところがいいね。ご休憩でもします?」
 ご休憩?暫く考えて、あ、ラブホテルの事か、と合点がいった。
 「あぁそれなら西口だね」
 珍しくセックス無しに、純粋に会ってお茶して、というのを想像していただけに、ちょっと残念。話すだけならその辺のカフェだっていいのに。

 派手派手しい看板が並ぶ、いかがわしい界隈で、ちょっと和風なラブホテルに入った。
 「部屋はどこでもいいよね」
 と言って、1番安い部屋のボタンをサトルさんが押した。キーを受け取りエレベーターに乗る。何だろうこの感じ。完全にセックスしに来ましたって感じだな。ラブホテルって苦手。
 外観は洋式のドアなのだけれど、中に入ると部屋は畳敷きで、少し大きめの布団に、行燈のような赤い明りが灯っている。和風なエロ。浴衣まで置いてある。お代官様プレイも出来ちゃう。ソファは無く、座椅子とちゃぶ台が置いてある。そこにバッグと携帯を置いた。

 「ミキ嬢、一緒にお風呂入ろうよ」
 え、何この人っ。いつかの「膝枕」を思い出した。この人、時々デレるんだったか。私の返事も聞かずにばたばたと風呂場に行き、浴槽にお湯を張り始めた。恥ずかしいなぁと1人で顔を赤らめながら、座椅子の上に正座して待った。
 「俺、先に入ってるから、適当に入ってきて。何か汗かいちゃって、早くさっぱりしたいし」
 さっさと全裸になって、その辺に服を脱ぎ散らかして風呂場へ入っていった。
 私はその服を皺にならない程度に簡単に畳んで、1ヶ所に重ねて置いた。私はアンタのかーちゃんかっ。

 そして私も全裸になって、風呂場の戸をノックして入った。サトルさんは浴槽に浸かっていた。「どうぞ」と言われた。
 身体をシャワーで流し、勧められた通りに浴槽に浸かる。何なんだー、この絵面は何なんだー。

 「何か、恥ずかしい」
 「え、何で?」
 何でって、明るい所でお互いの身体を直視するなんて、そんな事は今まで無かったから。薄暗い部屋の中とか、電気を消した部屋の中とか――とにかくラブホテルでは、無かった。
 「いや、サトルさんとこういうの、初めてだし」
 恥ずかしがってるのは自分だけだという事を知って、更に恥ずかしくなる。恥ずかしいついでにもう一つ、訊いちゃおう。

 「あのさ、サトルさんは彼女いるの?」
 「いるよ」
 眩暈がし、視界が一瞬歪んだ。訊かなきゃ良かった。どうして訊いたんだっ、このタイミングで。何てあっさりと認めるんだっ。認めておきながらこの状況。有り得ない。
 「え、それでもこういう――セックスを――人妻とセックスするってのは、大丈夫なの?」
 「うーん、まぁこういう関係もありかなぁと思うよ。何で今更そんな話?」
 あれ?何で?何で私がおかしな事言ってるみたいな状況になってるの?
 「あ、そうだよね、うん。別に。」

 後ろから抱かれる形になった。あぁ、何と言われようが、好きな人に抱かれるのは悪くない。サトルさんが好きだ。もう、これは中毒だ。自分の中の矛盾は極力見ないようにした。
 「俺は、ミキ嬢とこうして逢って話してるの楽しいし、ミキ嬢の事は凄く大切に思ってるんだ。だけどミキ嬢が迷惑に思ってるんなら自重する」
 「いやそんな、迷惑だなんて思ってないよ。逆に彼女がいるのに、いいのかな、って」
 それはそれ、これはこれ、と言って立ち上がったサトルさんの言草が、何だか子供が言い訳してるみたいに聞こえて可愛くて、目の前にあるサトルさん自身にしゃぶりついた。

 それから身体を拭いて布団に潜りこみ、セックスをした。

 「旦那さんとは未だにセックスレスなの?」
 赤い照明に照らされた天井を仰ぎ見ながら、いつからしてないんだろうと考える。
 「もうかなり長く、してないね。彼も不倫してるみたいだし、そっちで解消してるんじゃないかな」

 サトルさんが一瞬、固まってこちらを見た。そして短い溜息を吐き、私を抱き寄せる。
 「旦那さんの不倫が分かっちゃったんだ。不倫するからには、バレないようにするのが礼儀ってもんだよね。ミキ嬢、辛かったでしょう」
 意外な心遣いに驚いた。サトルさんも気を付けてよ。その彼女とやらにバレないように。あぁぁぁ、嫉妬の炎がメラメラと燃える。
 「まぁ、人の事言えないからね。私もこうして、ねぇ。してるし」
 でもそんな風に優しく慰めてくれるサトルさんの言葉が嬉しいのです、と言って抱き付き返した。

 「彼女とは、長いの?」
 進んで訊きたい事ではなかったが、訊いておきたい好奇心に駆られてしまった。
 「全然、まだ付き合い始めたばっかり。高円寺のカフェの店員さんだったんだ」
 「へぇ」
 あ、やっぱり訊かなければ良かった。別に知りたくなかった。どちらから言い寄ったんだろう。あぁ、とても悔しい。自分はさっさと結婚しておきながら、サトルさんに彼女がいる事が狂おしい程に妬けてくる。

 部屋を出る前に清算するシステムだった。ここは「半分出すよ」と私が言って、サトルさんに「いいよ」と言われたら引くのが正解だな、と思い、半額を握りしめて「はい」とサトルさんに渡すと「あ、うん」と言って受け取った。
 あ、受け取った。そうなんだ、割り勘なんだ。え、ホテル代って割り勘なの?そういうものなの?


 その後2週間ぐらいで、またサトルさんから「会いたい」とメールが来た。待ち合わせ場所は、鶯谷駅の東口だった。
 鶯谷と言えば、ラブホテル街がある事ぐらい、私も知っていた。あぁ、また身体を求められるんだ。そう思った。

 案の定、鶯谷駅から歩いて数分、ラブホテル街の一角に部屋を取り、セックスをした。
 何か急いている感があり、初めて抱かれたあの日とは比べものにならないぐらい、乱暴だった。珍しい事に「言葉攻め」をされたり、淫乱な言葉を要求されたりした。
 私の陰部を舌で弄んでいる途中で、部屋の電話が鳴った。
 「何だよ、クソッ」
 怒りの感情を露わにした。彼女と――彼女と何かあったんだろうか。勿論そんな事は聞きたくなかったので、黙っていた。

 とにかく、いつものサトルさんではなかった。それともこれが通常のサトルさんなのか?
 会計では半額を要求された。これが当たり前なのかと思った。



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