5回目は、ハルさんのバイクでツーリングをした。
田口は「抱き付かなければどこでもいい」と言ったけど、ハルさんは「腰に手を回しておかないと危ないから」と言って両手を自分の腰に回してくれた。
ハルさんの住まいに近い、大きな川でバイクを停め、護岸に座って缶コーヒーを飲んだ。
すると、スーツを着た中年男性が近づいてきた。満面の笑みを湛えた顔で私たちに話しかけた。
「君たちは、前世を信じていますか?」
あ、宗教勧誘、すぐに気づいた。
ハルさんはこちらを見てニヤリと笑って「はい」と答えた。適当に「興味ありません」って流せばいいのに。
「おや、では前世は何だと思いますか?」
「猫です」
「――猫、ですか」
明らかに中年、困っていた。ハルさんと私は顔を合わせてクスリと笑った。
「君たちは恋人同士ですか?」
今度は何て答えるんだろうとハルさんの横顔を見た。
「はい、そうです」
おいぃぃぃぃぃっ、そこ嘘ついてどうするんだっ。
「そうですか。君たちの前に明るい未来が待っていますように。それでは」
そう言って中年男性は去って行った。勧誘は諦めたようだ。初っ端の「猫」発言で。
缶コーヒーを飲み干すと、「ちょっと涼しい所を走ろうか」と言って、再びバイクに跨った。
渓谷沿いにある道は、夏場でもとても涼しく、空気もおいしい。そこをバイクの排気で汚していくのも気が引けるが、まぁツーリングだから仕方がない。ところどころでバーベキューやキャンプをやっている団体が目に入る。
途中でバイクを降りて崖を降り、川に近づいた。川の水は痺れる程冷たく、そこに横たわる岩は、太陽に熱せられてジリジリと熱い。少し日陰にある岩を見つけてそこに座った。
「キャンプした事ある?」
小石を見つけては川に投げ込みながらハルさんが訊く。小さいトポンという水音は、すぐに川の流れる音によってかき消される。
「小学生の頃、自治会でやったなぁ。ハルさんは?」
「俺はないねー。子供が出来たりしたらやってみたいけど」
「そうだね、家族でキャンプは楽しそうだよね。うちは父親不在的な家だったからねー」
「ミキちゃんと話してると幸せな話が出てこないのな」
顔を見合わせて苦笑した。
暫く、川の流れる音と、ハルさんが投げる小石が川面を打つ音を聞いていた。
私に背を向けて、ハルさんは1つ、大きなため息を吐き、そして言った。
「俺、ミキちゃんの事、好きになった」
鼓動が早くなった。眩暈がした。思わず口をついて「嘘だろ――」と呟いてしまった。
初めて「両想い」が叶った小学生のような、初々しい気分だった。暫く返事が出来なかった。
それは自分の今の立場ではどうしようもないからだ。私は既婚なのだ。
「私も、ここんとこ急速に惹かれてるんだ。でも、どうしたらいいのか、分からない。どう応えてあげたらいいのか、分からない」
そう言うと、何故だか涙が溢れてきた。涙は睫毛の手前で辛うじて堪えている。
こんなに好きになっちゃったのに。私には旦那がいる。何で、何で結婚なんてしちゃったんだろう。
ポロリと睫毛を揺らした一粒を皮切りに、涙が落ちてきた。
私が泣いているのを見て、ハルさんは私の手を取った。「戻ろう」そう言って私の手を引きながらバイクのある方へ歩いた。
先程よりも強い力で、ハルさんの腰を抱いてしがみついた。ハルさんは時折、私の手を握ってくれた。
さぁミキ、そろそろ腹を括る頃だよ。
自宅の横までバイクで送ってもらった。ヘルメットを返し、短いキスをした。また涙がこぼれた。
「結構泣き虫なんだな」
「うるさい。ほっとけ」
翌日、タキの家を訪れた。
昨日起きた事を順を追って話した。
「ミキはもう、心に決めたんでしょ」
「うん、別れるしかないと思う。相手がハルさんでもそうじゃなくても、今のままじゃ人生勿体ない」
既にもう勿体ない事をしているのだ。
「私もその方が良いと思うよ。ご両親には?」
「まだ話してない。あぁ、言いにくいなぁ」
結婚とは、自分と相手だけではない、家族と家族のつながりも出来るのだ。親にはなかなか言いにくい。何しろまずは将太に言いにくい。
「娘の決断なら、親は何も言わないでしょ。それより、旦那には何て言うの?」
「出ていくって言う。慰謝料はいらないから、引っ越し代と、共同で買った家電とかのお金を半分返して貰う。そしてこれまでの数々の悪行を清算して行く事をここに誓います」
唇をきゅっと締める。きっと今、私の唇はリンゴ飴の様に赤い。決めた。決めたのだ。
「今日ね、そこの川で花火大会があるんだ。見て帰る?」
「うん、見る」
それ以上、離婚の話には突っ込んでこなかったのはタキの優しさなんだと思う。
その夜、母に電話を掛けた。掛ける前から泣きそうだった。親不孝な娘を、許してください。
「お母さん?」
『ミキ、どうしたの?』
「お母さんあのね、私、離婚しようと思うんだ」
『――そう。お前がそう決めたなら、そうしなさい。理由は聞かないけど、時々見るお前の顔は、あんまり幸せそうじゃなかったもん。今お父さんに代わるから』
母は何も訊いてこなかったが、訊かれても答えられるような状況ではなかった。涙が溢れて止まらないのだ。嗚咽が止まらない。
『お父さんだけど、お母さんから今聞いたよ。好きにしなさい。お父さんはあの男、初めから好きじゃなかったから』
そういって父はカラリと笑ってくれた。私も泣きながら笑い返した。うまく笑えたかなた。あぁ、父の様に、母の様に、子供の考えを最優先にしてくれる親になりたい。そんな旦那さんが欲しい。
「ありがと。あの、お母さんにも――」
『ありがとでしょ、言っておくよ。大丈夫。あんまり泣くと目が腫れるからな。冷やせよ。じゃあね』
受話器を置く。仲が良い父と母ではないけれど、子供を想う気持ちは母も父も一緒なんだ。
目が腫れる、という父からの警告を無視して、一頻り泣いた。
次:40 リリース
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