5 イニングス



 サトルさんから「家に遊びに来ないかい?」とお誘いを貰った。

 1人暮らしが長く、それなりに料理が好きなサトルさんが、「得意の肉じゃがをごちそうするから」と言ってくれた。
 サトルさんの家までは電車で1時間もあれば着く。私の兄が住んでいる街だ。と言っても広い街。兄に遭遇する可能性はゼロに等しい。

 最寄駅までサトルさんが迎えに来てくれた。今日もまた、全身センスフルな姿だ。一緒に歩くのも躊躇ってしまう。
 近くにあるスーパーで食材を買って、歩いて一五分程のサトルさんのアパートへ向かった。一緒に歩いているところを他の人に「恋人同士」なんて思われたらどうしようー等とアホな事を考えていたら、段差で躓いて転びそうになった。
 こんな素敵な人が私の彼氏だったら、それこそ「思い出づくり」だけでも昇天する程に幸せな事だ。終わった時の傷は想像を絶するけれど。

 サトルさんの部屋はワンルームのアパートで、適度に散らかっていた。
 「これが自慢の炬燵トップPCです」
 壁際に追いやられた炬燵の天板にマッキントッシュのデスクトップPCが置かれていた。
 そのキーボードをどかして、「どうぞどうぞ」と席を勧めら、「どうもどうも」と座った。

 「何もしなくていいから、ゆっくりしていてよ」と言われた。この状況は、男女が逆転しているではないか。私は肉じゃが、作れないけど。
 炬燵トップPCの周りには、仕事関係の資料なのか、沢山の紙類が積まれていた。その中にサッカーの雑誌があった。そういえば、サッカーが好きって言ってたな。
 私はサッカーよりも野球を好むので、この点では話が盛り上がらないと思い、メールではスルーした話題だったのだ。部屋を見渡すと、イギリスプレミアリーグの、私でも知っている有名チームのレプリカユニフォームが飾ってあった。
 普段は料理と言っても簡単に済ますことが多いと言っていた。台所にはあらゆる缶詰が積まれていた。なるほど。缶詰で簡単料理か。メモメモ。
 手持無沙汰でキョロキョロと部屋を見回していたが、それも失礼かと思い、サッカーの雑誌をペラペラめくって時間をつぶした。

 「これじゃ狭いねぇ」
 サトルさんは、積んであった紙類をドサっと炬燵の横に置いた。白くて細く、でも男らしい筋張った腕でお盆を持ち、テーブルにご飯と肉じゃが、お味噌汁を並べてくれた。一人分だった。
 「あれ、サトルさんは食べないの?」
 台所に戻り、壁に寄り掛かったサトルさんは手を左右に振った。
 「俺はいつももう少し遅い時間に食べるから、今はコレで」
 ポケットから煙草を出した。
 「ごめんね、ご飯中に煙たいかも知れないけど、嫌だったら言ってね」
 一応換気扇は回したてるんだけど、と台所で立ったまま煙草を吸い始めた。

 私は両手を合わせて「いただきます」をして、目の前に出された「おふくろメニュー」を食べ始めた。
 とても優しい味で、これを男の人が作ったと思うと、何というか――負けた気分。
 「すんごいおいしいー。男の手料理、おいしいー。幸せー」
 これは大げさではなく、本音が口に出た。周りには一人暮らしをしている男性がいないので、こんな事はとにかく新鮮なのだ。そして、招いて貰えたことがとても幸せだった。憧れの、あの憧れのサトルさんに。
 私の笑顔を見て、サトルさんもまんざらではない様子だった。

 出された食事を全て平らげ、旦那の実家を訪ねた嫁のように「洗い物ぐらいは」と申し出たが、サトルさんに拒否されてしまい、結局こたつに戻った。もう初夏の陽気なのに、炬燵布団をしまわないサトルさん、部屋も適度に散らかっているサトルさん。少し親近感が湧く。

 「ミキ嬢(何故かメールやりとりの中盤から私を「嬢」呼ばわりするようになった)は彼氏といつ別れたんだっけ?」
 「半年ぐらい前かな。サトルさんは?彼女は?」
 知りたいような、知りたくないような、そんな感じでメールでは訊ねた事が無かった。
 2本目の煙草を吸っているサトルさんを見上げながら訊いてみた。
 「1年ぐらい、いないかなー。出会いも無いしね。職場、男ばっかりだし」
 確かに、彼女がいたらこんな風に女を家に招いたりしないよね。相当な女好き以外は。

 「ミキ嬢は、男女の友情ってあると思う?」
 煙草の煙を吐きながら言う。あまりにもタイムリーな話で驚いた。田口を思い出す。
 「私はあると思ってるんだけど」
 「そういう友達、いるの?」
 「うん、まぁ、いますね、一人」
 PCのリンゴマークを見つめながら、田口の話をした。

 「それはさぁ、友情じゃないんじゃないかな。多分その彼はミキ嬢を好いていると思うよ。ミキ嬢もまんざらでもないでしょ」
 田口に恋愛感情――。
 向こうの思いは分からない。私は――私は、嫌いではない。いや、きっと好きなんだ。恋愛に発展したって別にいいと思う。だけど恋愛に発展してしまったら、壊れてしまうのが怖くて仕方がない。田口の優しさが消えてしまうのが怖い。ユウと別れてから、幸せな時間が無限ではない事を知って、『恋愛』というものがとても恐怖であり泡沫な事に思えてならないのだ。

 「私は、彼の事を嫌いではないんだ。好きじゃなかったら自宅に呼ばないし。だけど、お互いが好き好きオーラを出してしまった後に、片方が飽きて好きオーラを失ったとするでしょ。そうすると凄く大怪我をすると思うんだ、心に。それぐらい、凄く大切な人なんだよね。失いたくない人」
 サトルさんは優しく微笑んで「凄く大切な人、いいね。言われてみたいな」と言った。
――私は何を話しに来たんだ、ここに。
 こんな筈ではなかった。結局、サトルさんは男女の友情があるかどうかについては話さなかった。


 「駅まで送るよ」という申し出を有難く頂戴して、サトルさんと並んで暗くなった道を歩いた。サトルさんの内面を見る事は出来なかったけど、私は自分の内面を少し知ってもらって満足だった。少し、2人の距離が近くなったような錯覚を起こした。錯覚でもいい。憧れの人とこうして肩を並べて歩いている、その現実だけでも相当お腹がいっぱいなのだ。
 帰りは、このあたりに兄が住んでいる事や、このあたりの家賃相場等、割とどうでもいい話に終始した。

 「またメールします。ごちそうさまでした」
 今回は私がこう言って、さよならをした。


 電車に揺られていると、携帯にメールが来た。サトルさんからだ。
 『今日は来てくれてありがとう。誰かが家に来て、帰ってしまった後に残る寂しさが嫌いなんだ。帰ってほしくないと思うね。それじゃ』
 携帯ごと抱きしめてやろうかと思った。私から見ると、とても大人な男性で、精神的にも強そうで、何でも知っていそうな完全無欠な人に見えるんだが、こういう事、ぽろっとメールに出しちゃうんだな。
 可愛い人なんだなぁと思った。
 車窓に映る自分のにやけた顔の真ん中、鼻がテカテカしていて「こんな顔で接していたのか――」と悔やんだ。そろそろ「お化粧をする」という知恵をつけたいところだ。

 サトルさんは、私にとって「男友達」になるだろうか。今のところは「メル友」の「お兄さん」だ。
 恋愛関係に発展することはまずないだろう。私にとってサトルさんは高嶺の花だ。この言葉を女である私が使う事はおかしいかも知れないが、この表現が的確だ。

 見た目も、性格も、全てが私の「ストライクゾーン」のど真ん中。私自身が強烈な「ワイルドピッチ」な訳で、どうあがいても彼を自分の物には出来ない。サトルさんの彼女になる事なんてまず無理。ありえない。
 彼女になれないなら、女友達ならどうだろう。
 こうしてサトルさんの手料理を食べに行く私を、サトルさんはどう捉えているのだろうか?

 私は、少なくとも「メル友」から「女友達」になりたい、そう思った。



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