inserted by FC2 system


―四― 矢部君江

 サークルに顔を出す度「いい子は見つかった?」と至君に訊ねられる。こんなに人が多い学内で、そう簡単に仲間が出来るものか。友達すら出来ない。

 どの講義でも、出来るだけ早い時間に講義室に入り、一番後ろの一番奥の席に座る。矯正視力はかなり良いため、ホワイトボードの文字は十分に見ることが出来る。
 コミュニケーション心理学の講義でも、いつもと同じ席に着いた。ノートと資料を机に置いて、教授が入室するのを待っていると、右隣に一席空けて、容姿端麗な女性が座った。
 いつもは時間厳守の老齢教授が、今日は珍しく遅刻する旨を、教務課の人間が伝えに来た。時間を持て余していた私は、シャーペンの芯を出し入れしながら、隣の彼女を何気なく観察していた。
 茶色く長いストレートヘアに、長い睫毛。無駄な色が一つもない肌に、煌めくピアスが映える。高校時代に開けたピアスホールに刺さる、地味なシルバーのピアスに指を遣り、肩を落とす。神様が人間を平等に作らなかったのは何故なのか。
 カジュアル過ぎず上品過ぎないカットソーに、デニム、パンプス。空いている席に置いてあるベージュの鞄は、私の知識の中にはないが、きっとブランド物なのだろう。
 と、年老いた教授が立て付けの悪いドアを開き、入ってきた。教壇に立つまでに出席が取れてしまうのではないかという程、歩くのに時間が掛かる。思わず笑いを漏らしてしまい、隣の女性もクスッと笑った。

 心理統計法の講義は別の部屋で行われる事を事前に確認していた。足早に講義室を出ると階段を登り、室内へと入る。例の角の席をとった。安心しながらノートと資料を机に置くと、また隣に人影がちらつく。さっきの、美しい女性だ。
 目が合うと、どちらからともなく「どうも」と挨拶を交わす。「もしかして心理応用学科の方ですか?」
 大人びた芯のある声で訊ねられ、私は子供みたいに上ずった声に無理やり貼り付けた歪な笑顔で「はい」と返事をする事が精一杯だった。
「私、地方から出てきたばっかりで、知り合いがいないんです」
 地元出身である自分にも知り合いなんていない、と言う事は流石に惨めで、口にしないでおいた。 「じゃぁ一人暮らし?」
「そう。まだ慣れなくて」
 彼女はさらさらの髪を耳に掛け、微笑みを湛えた顔を傾げた。ピアスが陽光を受けて、一瞬キラリと光る。
 彼女ならもしかしたら、仲間になってくれるかもしれない。
「あの、良かったら、なんですけど――」
 彼女は相槌の代わりに目を大きく開けて私に視線を寄越す。
「思い出作りにサークル、入りません?」
 智樹君の言葉を借りた。彼女は「思い出作り?」と不思議そうに首を傾げている。またピアスが光を反射した。
「名前はまだ読書同好会っていうエセ同好会なんだけど、一年生だけで小さなサークルをやろうって事になって。私の他には高等部あがりの男性が三人。もし良かったら、今日の講義後、部室に来てみませんか?」
 自分の口からこんなに流暢な誘い文句が出て来た事に驚く。誘ったらどっと疲れてしまって、背凭れに凭れて大きくため息を吐いてしまった。
「面白そう、一緒に連れてって貰えるかなあ?」
 彼女はマスカラで綺麗にセパレートした睫毛を上下させ、興味ありげに身を乗り出して来た。まさか、こんな誘い文句に乗ってくれるとは思わなかった。
「じゃあこの講義が終わったら、一緒に行きましょう。あ、同級生だもんね、一緒に行こう、でいいかな」
 これで彼女が加入してくれれば私のミッションは終わりだ。まさか彼らも、男女比が一対一になるまで粘ったりはしないだろう。

 講義を終え、並んで歩いて始めて気づく。ヒールの低いパンプスを履いている彼女は、私より遥かに背が高い。痩せていてスタイルも抜群で、美人。
 きっとあの三人は大喜びだ。智樹君のような顔の整った背が高い男性と歩いていたら、美男美女のモデルカップルみたいで素敵だろうと想像する。
 一方、眼鏡の地味女は、塁に「大学にスニーカー履いてくる女がいるかよー」と言われ、完膚なきまでにけなされる運命なのだ。
 それでもいい。誰がリーダーで誰の言う事に従わなければならない、そんな雰囲気にはまず雪崩込まなそうなこのサークルに、加入し続けて行く気になっている。