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―六― 久野智樹

 あれは完全に惚れただろう。至の好み、ど真ん中の美人だった。目がハートになるという状況は、あれを指すのだと納得する。
「何考えてる?」
 俺の腕に巻きつく理恵の白い腕も見飽きたな、と思う程、関係が長くなった。大学に進学して逢う時間が減れば、俺が彼女を求める気持も再び復活するかと思ったが、そうでもないらしい。
「前に言ってたサークル、新しい子が入ってきたんだ。至好みの美人さん」
 ふーん、と彼女は少し何かを考えているように沈黙し、次の瞬間、俺の腕を強く握った。
「智樹、その子に惚れたの?」
 まるで詰問口調だ。理恵は高等部きっての美人だったが、俺は見た目に惚れた訳では無いし、勿論拓美ちゃんは美人だとは思うが俺は惚れていない。今のところ。
「それはない」
 端的に答えたが、理恵は不満そうに膨れっ面をしている。それが何故だかは、想定の範囲内だ。
「だって何か卒業前から素っ気ないし、進学してからはなかなか会ってくれないし。他に好きな子でも出来た?」
 好きな子が出来た訳では無い。ただ理恵に興味がなくなりつつあり、理恵とは正反対な女の子に興味が出つつある、そんなところだろうか。過渡期なのだ。

 そもそもの始まりは、理恵の猛烈なアタックだった。中等部三年で同じクラスになり、告白され、野球に専念したいからと断った。正当な理由だ。
 だが、部活が終わると校門で待ち伏せをされる毎日。一緒に帰る事を余儀なくされた。
 高等部に上がると野球部のマネージャーになった理恵に、再度告白された。マネージャーなら休みのペースも合うし、俺がどれ位疲労しているか、なんて事もマネージャー目線から把握してくれるだろう。面倒な事にはならないだろうと、軽い気持ちで交際を始めた。
 初めこそ順調だったものの、彼女の欲が出始めたのは初めてキスをした後からだった。
 野球部には殆ど休みが無い。あっても午前半休、午後半休。親の仕事の関係で一人暮らしをしている俺の家に押し掛け、貴重なオフの時間に身体の関係を迫るようになった。俺が疲れていようがお構いなく。一度許すと済し崩し的に。女の癖に欲が強い。未だにそれは変わっていない。
「好きな子は出来てないけど、まぁ講義も結構詰まってるし、復習もしないとついていけないしさ。理恵だって短大、忙しいんじゃないの?」
 俺は詰まりに詰まった彼女との腕の間を少し緩めて訊いた。香水の匂いが、以前よりきつく感じる。
「今はまだ全然。だから今のうちに沢山会いたいの」
 お得意の上目遣いで言うが、そこには理恵の都合しか無く、俺の都合は含まれていない。
「はい、着いたよ」
 彼女を家まで送って行くと言ったら「智樹の家に行きたい」とごねられたが「明日大事な講義があるから」と躱した。恐らくもう、理恵と身体の関係を持つ事は、無いだろう。自分の気持に嘘はつけない。
 もう、彼女の事は好きでも何でもないのだから。
「じゃ、俺帰るから」
 ひらりと左手を上げて身体を翻した。暫く、家の門を開ける音は聞こえない。代わりに、背中に刺さる視線が長い事俺を貫いていた。