1
つい今しがたまで、無い事に気付かなかった事に、急に気が付いたりする物だ。
黒いメッシュのペンケースから、消しゴムが消えている事に気付いた。
「何、どうしたの?」
ペンケースを丸ごとひっくり返して中身を確認したり、床に視線を落としたり、無いと判っている癖に制服のポケットを探ってみたり、落ち着き無く動く様を見て、博美がそう言ったので、「消しゴムがなくなった」と端的に述べた。
博美も一緒になって教室の床に這う様にして探してくれたが、見つからない。
「さっきの、音楽室じゃないの?」
あ、そうか。今日最後の授業は音楽だった。
「部活の前にちょっと行ってみる」
「大事な消しゴムなの?」
大事な消しゴム、と言う響きが何とも可笑しかった。消しゴム如きで。
「いやぁ、まだ買って数回しか使ってないから、勿体無いなって思ってさ」
ペンケースの中身を元に戻し、身支度を整えていると、博美が妙な事を言い出した。
「最近流行ってるらしいよ。何つーか、中学生じゃあるまいしぃ」
何が流行っているのか勿体ぶったその口調に「何がだよ」と被せた。
「消しゴムに、自分の名前と好きな人の名前を赤字で書くと、結ばれるってやつ」
「はぁ......」
溜息にも似た声を漏らした。中学生じゃあるまいし。博美の言う通りだ。
「それって消しゴムの底に書くの?」
博美は一瞬面食らった様な顔を見せ、「バカか」と言った。
「そんな事したら周りにバレるでしょうが。紙に隠れてる部分だよ。側面」
そうだよねーと軽く受け答えをし、鞄と練習着が入ったバッグを持った。
「音楽室寄ってみるから、先に行ってて。アップに間に合う様に行くから」
そう博美に伝え、音楽室に向かった。
音の絶えた音楽室の扉をガラリと開け、靴を脱ぐ。絨毯敷の音楽室の電気をつけると、パッとグランドピアノが光を受けて輝いた。
おっと、消しゴム消しゴム。
自分の席の周りを重点的に調べたが見つからず、合唱のパート練習に使った音楽準備室に足を踏み入れた。
「あ、あった」
誰にいう訳でも無く呟き、酷く一般的に流通している個性の無い消しゴムを拾い上げた。まだ使って間も無い。間違い無く私の消しゴム。
思ったより早く発見出来たなあと思い、音楽室の電気を消し、歩きながらペンケースに仕舞った。
部室棟へ行くために、再度教室の前を通った。
見知った顔が、廊下をウロウロしていた。
「賢太郎、何してんの?」
いつもなら部活に向かい、私達と半分に分けたコートでバレーボールシューズの紐でも結んでる頃だろう。
「いや、消しゴムを無くしちまったみたいでさ」
「ここで?」
廊下のリノリウムの床を指差す。
「いや、分かんねぇけど、さっき稲村達が、廊下に落ちてる消しゴムを蹴って遊んでたって聞いたからさ」
傘立ての隙間や、消化器の裏、隅々まで探している。
博美の言っていた事が脳裏を掠めた。
「ねえ、大事な消しゴムなの?」
賢太郎は少しむくれた様な顔で頬を赤らめて「そんなんじゃねぇし」と言うが、狼狽は隠しきれていなかった。
まさかね、賢太郎があのおまじないを信じているなんて......。
「あ、あった!」
傘立ての隙間から賢太郎が拾い上げたのは、私が持つ消しゴムと同じ、ごく一般的なメーカーの消しゴムだった。
「良かったじゃん。じゃ、私は先に部活に行きますので」
「何だよ、一緒に部室棟に行くぐらいいいじゃんか」
ズタ袋の様なケースに消ゴムを仕舞うと、鞄を手に歩き出した。私はその横を歩く。
部活が同じでも、普段言葉を交わす機会は少ない。教室でもそう頻繁に話をする訳でも無い。
こうして横並びに歩くのは少し、恥ずかしかった。
賢太郎が、空高くジャンプして、白球を地面に叩き込む一瞬の、歯を食いしばる顔が好きだ。顧問の話を聞く時の、挑発的な目が好きだ。頭から水を被り、それをさっと後ろへ払う仕草が好きだ。
要は、賢太郎に惚れているのだ、私は。
隣を歩いているのに無言のままで居心地が悪く、「は、春の大会は、くじ運はどうだったの?」と、どうでもイイ話を振ってしまった。
「まだマネージャーから知らされて無いな。もう、決まったのかな。女バレは?」
話を振っておいてなんだが、全く知らなかった。
「知らん」
「何だよそれ」
部室棟に到着し「それじゃ」と各々の部室に入って行った。
「消しゴムあった?」
トスの自主練をしている博美が寄ってきた。
「あったあった。音楽準備室に」
「良かったじゃん」と言って私にパスしてきたので、シューズの紐を結んでいた私は座ったままでトスを仕返した。
体育館は様々な部活が使用するため、使える時間が限られる。
幸か不幸か女バレと男バレはコートを半分に区切って練習をするので、練習時間は被っているし、賢太郎の勇姿がチラ見出来る。
とは言え、自分はチームのエースを任されているので、男に見惚れている場合では無い。
男バレにコートを全面明け渡し、女子はステージで筋トレをする。その間男子はスパイクの練習をしていた。
ほら、あの瞬間の顔。悔しそうな表情も。筋トレを三セット終わらせた私は男子のスパイク練習に見入った。
「まーた賢太郎観察日記?」
同じく終えた博美が近づいてきた。
「ん、そういう訳じゃない」
よっこらしょと老人の如く声に出して私の隣に座ると「じゃ、何さ」と追求の手を緩めない。
「賢太郎も消しゴム探してたからさ」
シューズの紐を硬く縛る。次にスパイク練習をするのは自分達だ。
「何なに、やっぱ必死だった?」
さっきのおまじないの事か。賢太郎がそんなもんに手を出すとは考え難い。
「いや、ふつーに探してふつーに見つかったよ。偶然同じ消しゴムだったけどね」
博美は薄ら笑いを浮かべて「書いてあるかもよー、『賢太郎、早希』って」
想像しただけで十分赤面した。
終了のホイッスルが鳴り、女子がコートに立つ。その度にネットの高さを調整せねばならない。
賢太郎はこんなに高い位置からボールを打ってるんだ。同じポジションとして羨望だ。
博美があげるトスで、私はスパイクを打つ。丸一年、これでやってきた。
私以外に身長の高い女子はおらず、自ずと「エーススパイカー」にされてしまった。
博美は、中学から強豪校でセッターを務めていただけあって、良い角度に、良い高さに、トスをあげる。
息が合うと、自分で言うのもなんだが、強力なスパイクが打てる。ステージで筋トレをする男子からも「おお」と声が上がる程だ。
その中に勿論、賢太郎もいる訳で、私は強い女とは思われたく無かったので微妙な気分だった。
2
部活を終え、自転車置き場まで部活の仲間とだるまになって歩いた。
殆どが自転車通学で、学区外から通学している私は電車通学をしている。
「一回戦、二回戦あたりまでは何とか楽勝で行けそうな雰囲気だよねー」
「そうやって余裕こいてると、負けるんだから」
仲間の油断した言葉に、博美は喝を入れた。夏からのキャプテンは間違いなく博美だ。
「そいじゃ、また明日」
私はその集団から離れ、駅に向かった。
目の前に、今日消しゴムを探していたあの背中があった。
「おーい、賢太郎」
振り向きざまに賢太郎は右手をひらりとあげた。
賢太郎と私は同じ中学の出身で、学区外通学者であるため、電車で見かける事は時々あったが、こうして帰宅が一緒になる事は珍しい。
何しろ男バレは、部活後のミーティングが長いから、帰宅時間がかち合わないのだ。
「早いじゃん、ミーティングは?」
「今日先生が休みでさ。珍しく風邪だって。鬼のかく乱ってやつだ」
賢太郎の隣に並ぶ。やっぱり、照れる。このまま自宅の最寄駅まで一緒に帰る事を考えると、更に照れる。
「お前今日もすげぇの打ってたなぁ。ボカスカ」
右手首のスナップを利かせて見せた彼に、私は少しむくれた。
「ボカスカって、殴り合いじゃないんだから。あれはトスがいいんだって」
博美のトス捌きは本当に素晴らしいと思う。打つ人間に合わせて、高さ、位置、タイミングを調整してあげてくる。
「確かに、谷口のトスっていいよな。俺も打ってみたいもん、あいつのトス」
博美が羨ましかった。セッターとスパイカーのペアはあっても、どうあがいてもスパイカー同士のペアってのは、ない。
「お前、スパイク打つ瞬間、口、開いてんぞ」
全身の血液が顔に大集合。炎が立つかと思った。そんな所、見られてるとは。
何か反撃してやりたいとは思うのだが、材料が見当たらない。何しろ惚れているのだから。
「あ、消しゴム、ねぇ消しゴムのおまじないの話って、知ってる?」
私は強制的に話を変えた。今日賢太郎が焦っていた、この話題に。
「あぁ、何となく周りが話してるから知ってるけど」
明らかに、先程とテンションが変わった。こいつ、やってるな。
「もしかして、賢太郎も......」
「やってないし。俺、そういうの信じないし」
それにしては少し顔が赤らんでいるのは気のせいだろうか。いや、気のせいではない。目線が定まっていない。これ程までに狼狽をひけらかすバカがこの世に存在するとは。可愛らしいではないか。
「お前こそやってんだろ、人の事ばっかり攻撃しやがって。女子ってそういうくっだらねぇ事が大好きだもんなー」
「は?やってないし」
私はカチンと来て、証拠を見せてやろうと鞄から黒いペンケースを出した。
「もうちょっと女らしいペンケースがないのかよ」
「うるさい」
やり取りをしながら、消しゴムを取り出す。
「見てみろほれ」
紙のケースから抜き出される事に抵抗する消しゴムを、何とか抜き出した。
「ほら、真っ白で......」
裏に反したその面には赤いペンで「賢太郎、早希」と書かれている。
ご丁寧に、ハートマークまで付けて。
「何これ......」
私は足を止めて消しゴムを見つめた。電車が一本、通過していく音がした。
賢太郎に視線を遣り「何、これ?」と訊いてしまった。
賢太郎はぽつりと言った。
「それ、俺んだ......」
賢太郎は自分の鞄からズタ袋を出し、そこから消しゴムを抜き出した。
「これ、お前んだろ」
紙ケースから抜き出した消しゴムは、両面とも真っ白なままだった。どちらの消しゴムも、使い始めてそう時間が経っていなかった。
私は賢太郎から目が離せなかった。
「どうゆう事だい、賢太郎?」
「そういう事だ、早希」
賢太郎は私が持っていた消しゴムを分捕ると、自分が持っていた消しゴムを私に押し付け、ズタ袋ごと鞄に放ると、その場を足早に離れていった。その後ろ姿に向かって私は叫んだ。
「私も、私も消しゴムに、同じように書いておくから」
賢太郎は足を止めて振り返った。
「だから一緒に帰ろう。明日も男バレ終わるまで門で待ってるから。一緒に帰ろう。明後日も、その先も」
意を決して私は賢太郎に近づいた。彼は左手を差し出したので、私は右手を重ねた。
そこにあるって事に気づかなかった物が、幸せを運んでくる事もあるんだ。
著者あとがき(言い訳)
学園ものなんかも読んでみたい、という声にお応えすべく、手を伸ばしてみました。
すみません、この程度しか書けませんでした......。
今凄く恥ずかしいです。逆立ちしてるぐらい顔が赤いです。学園ものって恥ずかしい。
機会があれば中編程度の学園ものが書けたらなぁと思っています。
お題やリクエスト、お待ちしています。
SO-AIR
宜しければご感想、誤字脱字報告等お寄せください。
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