14 彼女の匂い 何だかんだ話をしながらお酒を呑んでいると、遠くから地面を振るわせるような音が響いてきた。 「始まりましたな」 「そうみてぇだな」 ベランダに出て、青い椅子を勧める。私は赤い椅子に座った。 真正面に、大きな丸い花火が次々にあがる。 川辺には人が集まっていて、天に広がる円形を見て「ワァ」と歓声が沸き上がる。 「ここ、特等席だな」 「でしょ、去年も1人でここから観てたんだ」 「俺、ここに引っ越してこようかな」 「冗談を」 2人、顔を見合わせて笑うと、一際大きな花火が上がった。お腹に響く音がする。 火薬の匂いに何か懐かしさを感じつつ、ビールを飲んだ。 花火が上がり始めた頃はまだ、薄暗かった空が、今は星が瞬いている。 そんな星達も、大輪の花の前には非力で、夏の夜空の主役は、完全に花火に奪われている。 2人を隔てていた、テーブル代わりの小さな箱を追いやり、高橋君は私の隣に座った。 そしてその大きな掌で、私の頭を撫で、肩を抱いた。 「プライベートでは、下の名前で呼んでいいか?」 「うん、どうぞ」 私は彼の肩に寄り掛かった。花火がすぐそこまで降ってきそうに見える。こうして肩に寄り掛かっても、丸い花火は丸いまま見えるんだ。 「美奈、好きだ」 赤い花火に反射して、今の私の顔色は悟られないだろう。そう思った。 「私も高橋君が好きだよ」 「何でお前だけ苗字なんだよ」 彼が笑うと身体が揺れ、その揺れが私も伝わり、私も笑った。 「学生の時のあだ名は、何?」 「リン、だった。のぞむ、の別読みで」 可愛い名前じゃないか、と突っ込むと、肩に乗せた頭に、頭が降って来た。痛い。 「リンの事、好きだよ、でいい?」 「お前、仕事は出来んのに、こういう時に空気読めねぇのな」 ヘヘッと笑った。 空気を読めないんじゃない、あえて読まないんだ。甘い雰囲気は面倒臭いから。 「お前、香水付けてる?」 私の首の辺りに彼の顔が近づいて、胸の高鳴りを感じた。 「そ、そういう洒落た事はしてないよ」 ふーん、と低い声で言った。 「じゃぁそれはお前の匂いだな。いい匂いだな」 大きな花火が連続して上がった。太鼓を叩く様な音が立て続けにお腹に響く。 「これにて終了、かな」 身体を預けていた彼の肩から頭を離し、立ち上がろうとした途端、手を引かれ、キスをされた。 今までにない、長い、長いキスだった。お互いを貪った。 最後の赤い大輪がひとつ、咲いた瞬間だった。 部屋に戻り、ローソファに並んで腰掛け、リンが買ってきたつまみ兼夕飯を食べながら、彼女の事を訊ねた。 「この前彼女と会った時の進捗は?」 彼は苦々しい顔をして眉間に皺を寄せた。 「芳しくないねぇな。好きな人がいるからって言っても全然効かねぇからな」 「今日の花火は?一緒に行こうとか言われなかったの?」 私は人ごみが嫌いだから、誘われない限り花火大会なんて御免被るが、一般的なカップルは、花火大会に行くのだろう。 「好きな人と一緒に行くからってはっきり言った」 私はフォークでから揚げを刺し、口に運んだ。冷めてしまってちょっと油っこい。 「もう会わないから、って言って放置すればいいんじゃないの?」 ビールでその油を流し込む。トースターでちょっと温めてこようか。 「彼女な、両親がいねぇんだ」 「へ?」 「大学の時っつったかな、事故で両親を亡くしてんだ。だから、独りになりたくないねぇんだろうな。結婚も急いでるみてぇだし。だからこそ邪険にできねぇっつーか――きちんとけじめを付けてから別れてやりてぇんだ」 リンは項垂れたまま、ビールの缶を見つめている。 「君は優しいと言うか不器用と言うか――大変だね」 よいしょ、と言って立ち上がり、から揚げが入ったトレーを持ってキッチンへ行った。トースターの網にから揚げを乗せて、摘みをひねる。古い蛍光灯みたいな音でタイマーが回る。 キッチンから彼の顔は窺えない。 「私は、ちゃんと待ってるから。ちゃんとけじめがつくまで、待ってるから」 少し声を張って、そう言った。 「俺の身体は待てそうもないけどな」 リンも声を張ってそう言ったので「変態、暫く触らないで」と吠えてやった。 私に出来る事は何もない。 ただ、彼らが正式に、別れるのを待つだけだ。 自分の幸せの為に、人の別れを待たなければいけないというのは複雑な心境だ。 それでも私は、出来た人間ではないから、彼らが別れた暁には、両腕上げて喜んで、リンの胸に飛び込んで行くんだろう。 あぁ、恋愛ってつくづく、面倒臭い。 トースターの「チン」という小気味良い音が部屋に響いた。 「ちょっと煙草」 携帯灰皿を手に、彼はベランダへと出て行った。 |