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26 決断の行く先

『沢田さんの携帯で宜しいですか?』
 昼休みに携帯が鳴った。知らない電話番号だった。はい、と訝しげに答えた。
『私、中田理沙の伯母にあたる、中田京子と申します』
「あ、あの、ご愁傷様です」
 マグカップを持つ手を離し、口元にあてながら廊下に出た。
『明日、理沙の葬儀があるんですが、私、夫を亡くしてましてね、彼女も身寄りがないもんで、私が喪主をするんです。で、理沙の携帯に名前があった人に連絡してる所なんです』
「あ、そうなんですか。あの、お通夜は無理かもしれないんですが、ご葬儀には参列させてください」
 そう言って、誰もいない空間に一礼した。
『あの、こんな事訊いては失礼かもしれないけれど、遺書にあった沢田さんって、あなたの事かしら?』
 目を瞑った。また眩暈に襲われそうで、冷や汗が湧き出た。
「そうだと思います。すみません」
『いえいえ、謝らないで。彼女は素直な良い子だから、あなたの幸せを本当に願ってたんだと思うの。だから罪悪感なんて感じないでね。明日、直接お会いできれば嬉しいわ』
 自分の母親の様な、日向の猫の様な、穏やかな声に涙が溢れてしまった。嗚咽を押さえるのに一苦労だった。
「はい、よろしくお願いします」
 そう言って、電話を切った。涙が引くまで廊下に突っ立っていたら、リンが通りかかった。
 彼の眼は、腫れぼったかった。
「おい、どうした?」
「葬儀の連絡を貰って」
「あぁ、お前はどうする?」
「明日行く」
 それだけ言って、手のひらで涙を拭いて、居室に戻った。
 明日は有休をとる事にした。


 葬儀場につくと、高校時代に見た事のある人がちらほらいた。
 その中に歩がいた。
「美奈!」
「歩!」
 久しぶり、と握手をした。
「どうしたの?美奈って理沙と交流あったっけ?」
 不思議そうな顔をする歩に説明した。
「こっちのスーパーで偶然会ってね、仲良くなって」
 そう、この偶然さえなければ、こんな事にならなかったかも知れないのだ。
「そうなんだ、凄い偶然もあるもんだね。それにしても――残念だね。じゃ、また後で」
 彼女は過去のクラスメイトの一団の中に戻って行った。


 葬儀が済んだ後、リンが1人の女性と話していた。年齢から推察するに、あれが中田京子さんだろう。
「あ、美奈」
 こちらに気づいたリンが手招きをした。私は一礼しながら近づいた。
「沢田さんね。昨日電話で話した中田です」
「昨日はご連絡ありがとうございました」
 また深々と頭を下げた。
「今、高橋さんにも話したんだけれども、彼女、躁鬱病を患っててね。私の娘にそれを打ち明けてたんだけど。それが原因でこんな事になったんだろうって私達家族は思ってるの」
 無言で頷く。リンは胸ポケットから煙草を取り出し、喫煙スペースへと歩いて行った。
「電話でも言ったけれど、あの遺書の事は、素直に受け止めてやって欲しいの。決してご自分を責めないでね」
 整った字で書かれたあの遺書を思い出す。その向こうには、写真。
「あの子、優しいからあんまり胸の内を外に出したがらないのよね。辛い事も辛いって言わないって、あの子の両親もよく漏らしてたし。でもそういう、彼女の個性も、尊重してやって欲しいの」
 身体の中の水分が目に集まってくる感覚があった。堪えた。
「あの、お墓参り、時々行ってもいいですか?」
「勿論。喜ぶわ、あの子も」
 墓地の場所を携帯にメモした。

 リンがこちらに戻って来た。
「じゃ、また何かあったら連絡するわね」
「はい、ありがとうございます」
 深々と頭を下げて、中田さんに背を向け歩き出した。隣にはリンがいた。
「お前これから時間あるか?」
「うん」
「ちょっと話しよう」

 葬儀場からそう遠くない所に、リンが住むマンションがあった。駅を挟んで丁度会社の真反対に位置する。
 煙草の匂いが染み付いた簡素な部屋の真ん中に、小さなテーブルが置いてあった。
「テーブルんとこ、座ってて」
 そう言うとミニキッチンについてる冷蔵庫からペットボトルを取り出し、コップにお茶を入れて持ってきてくれた。
 「ありがと」と言い、ひと口啜った。
リンは疲れた顔をしていた。私もきっとそうだろう。
「何か、色々巻き込んじまって済まねぇと思ってる」
 火のついた煙草を灰皿にトントンと叩きつけ、灰を落とす。
「俺はともかくとして、お前は今回の件に責任を感じねぇでいいから。俺がお前を理沙の家に連れて行かなきゃ、お前は辛い思いをしなくて済んだんだよ」
 私は、何も言えないでいた。暫く部屋の中に沈黙が流れた。電気ストーブの熱線が熱を放つ音が聞こえてきた。
「でも、でも、遺書には私の名前があったんだから。同じ結果になったよ」
 リンはサラサラの髪に指を通してポリポリと掻いた。
「お前と出会う前から俺は別れ話を持ちかけてたんだ。お前がいなくても、理沙は精神的に病んで、こういう結果になってたかもしれねぇ」
 また沈黙した。死者を前にすると、推測でしか話が出来ないので、結論が出ないのだ。

「リン、ちょっと距離を置こう」
「え?何で?」
「心の整理がつくまでそうしたい」
 リンの返事は耳に入らなかった。
 まだお茶が残っているコップを持ち「ごちそうさま」と顔を見ずに言った。シンクの中にコップを置いた。
 外に出た。
 何も考えず、家まで帰った。