20 忘年会と年末年始 涼子が「忘年会でもやるか」と言い出したので、急遽金曜の夕方、藤の木に集まった。 「藤の木にしよう」と言い出したのは神谷君で、私が飲めるような酒が殆ど無い事を知った上での意地悪である事は火を見るよりも明らかだ。 涼子も神谷君も「生中で」とオーダーしたが、私は「オレンジジュース」と尻すぼみな声で呟いた。 「何オレンジジュースって、頭沸いたか?」 涼子が笑いをこらえきれないと言った表情でこちらを見ている。むむぅ、神谷の野郎。 日本酒でしくじった悪しき思い出が払拭されていない今日、また日本酒を頼むようなヘマはしない。とりあえず、女はソフトドリンク。 ドリンクと一緒にお通しのタコワサを、女将さんが運んできた。 「神谷君、綺麗どころに囲まれて幸せね」と女将が神谷君とからかうように笑った。お酒を頼まなかった私にもお通しを出してくれた。 とりあえず乾杯をし、タコワサを突きながら話を進める。 「何かぱっとしない一年だったよなー」 「私に言うなよ」 「私に言わないでよ」 神谷、総スカンを食らう。 「少なくとも私は特にこれと言って浮き沈みも無く――まぁヒモが途中でドロップアウトしそうになったぐらいで、あとは何もないな」 神谷君は?と話を振った。彼はタコワサを既に食べ終え、ジョッキのビールも底を尽きそうだ。 「俺はぁ、俺は好きでもない奴と付き合って、好きな人には振られて、ほんっとにパッとしなかった一年だった」 言葉とは裏腹に、やたらニコニコしている神谷君を、妖怪でも見るような目つきで涼子は眺めていた。 「私は、課長と付き合い始めて、幸せな一年だったな」 「そうだよね、みどりは確かに幸せだった。うん。でも課長、いつまでこっちにいるんだろう」 私も最近その事を考えていた。 特に期限が決まっている訳ではない、と言っていた。神奈川支社での人員不足で呼ばれ、人員が充足すれば元の東北支社へ戻るのだろう、と。 「そろそろあの人、山本さんが昇格するだろうから、そしたら課長は戻るのかなぁ」 涼子がそんな事を言い出したので、「やめてよ」と思わず口にしてしまった。 終わりがある事は分かっている。そんな事は初めから分かって付き合っている。それでも、その終わりが来なければいいと、ずっと考えている。このまま課長が、神奈川支社で昇格して、ずっと私の上司で、ずっと横浜にいればいいと。そう思っている。 勿論、そんな事はあり得ないって事も、認識している。 「いいの、いつか終わるって分かってるから。それまでは恋人って事で。ところで忘年会ってさぁ、何を話す場なんだろう?」 場に沈黙が流れた。涼子はビールを啜り、神谷君はそれまでのニコニコ顔を返上し、難しい顔をしながら「大将、ビール追加で」と言った。 「確かに、何を話せばいいんだかね。来年の決意とか?」 「それ、新年会で言わねぇか?」 うむ、と涼子はまたビールを呑んだ。喉から手が出そうになる。ビールが飲みたい。 「ねぇ、年末年始はみんな実家に戻るの?」 私は話題を変えようと、少し大げさに笑って言った。 「帰んないよ、ヒモいるし」 「俺も帰んない」 終了ー。私も帰らない。 「あ、課長は?」 神谷君が思い出したかのように口を開いた。 「課長と年末年始を過ごすの?」 「ううん、課長は岩手に戻るんだって。当たり前だよね、お子さんもいるんだし」 だよねーと一同は頷き、さっき女将が持って来た、枝豆やらから揚げやらを思い思いのペースで突き始めた。 「ここのから揚げって何でこう、カラっとしててジューシーなんだろ」 「なにそのCMのキャッチコピーみたいな評し方は」 涼子と神谷君が掛け合っている。から揚げなんてずっと作ってないな。やり方も忘れた。 仕事を始めてから「身体が資本」なんつって手料理に凝った事もあった。だけど性に合わないという事を認めざるを得なかった。 料理自体は苦手ではない。簡単なものは時々作るし、自信はある。が、後片付けが嫌いだし、買い物が嫌いだ。エプロンも嫌い。油が跳ねようものならもう――料理やめる。 「ねぇ、沢城さんって料理するの?」 言うと思ってたんだ。神谷君はこの答えを知っていてわざと質問をした。本当は「しない」のに、キャラ作りのために「する」と私が答えるのを、期待している。 「ん、する、するよ。時々ね。簡単な物なら時々ね」 私は神谷君の方には向かず、わざと涼子の方へ「ね」と微笑んで見せた。 「みどりはエプロンが似合いそうだよね、レ―スがついたエプロン。でもあーいうのって汚れたらどうすんだろう、洗うの?どうすんの?」 私がレースのエプロンをつけている想定で話が進んでいる様だ。 「あ、あのね、レースのついたエプロンはしないよ。フツーの、シンプルな物しかつけないから」 アハハ、と軽く笑ってその場をしのいだ。神谷――。 この日は「忘年会ってなんだろうね」というよく分からないお題に終始し、あまり帰宅が遅くならずに済んだ。 あぁ、明日から暫くは自宅でごろごろできる。 誰にも自分を装う必要も無く、一日中部屋着で、好きな本を読んだり、ギターをいじったりできるのだ。 あ、年賀状――書いてなかった。重要な仕事だ。はぁ。 年始は四日から仕事だった。 課長は宣言通り、私がクリスマスに贈った紺色に緑の刺繍が入ったネクタイを締めて出社した。私と目が合うと、「おはよう」と言って目を細め、ネクタイに触れた。 「おはようございます」 私は嬉しくて、ネクタイと課長を交互に見て、今すぐにでも飛びつきたいという気持ちを抑えるのに必死だった。 そのやりとりを見ていた涼子が昼休みに携帯をいじりながら口を開いた。 「課長のネクタイ」 「うん」 「クリスマスにあげたの?」 「うん」 涼子は私の顔を見てニンマリした。 「課長、嬉しそうに触ってたねー、ネクタイ。見せつけてくれるねー」 私は耳まで真っ赤になった。「顔あかいっすよ」涼子に指摘される前から気づいていた。 それから間もなく、課長からお泊りのお誘いがあった。 俗っぽく言うと、秘め初めってやつだな。 セックスの最中課長はいつになく激しく私を突いた。少し乱暴な、何かを忘れようとしている様な。何かあったのかな、と思った。 帰省中に何か――奥さんと喧嘩したとか――。異動?あまり考えたくなかった。 事を終えた後に訊いた。 「課長、今年中に異動するなんて、ないですよね?来年もまだ、横浜にいますよね?」 課長はサイドテーブルに置いてあった眼鏡をかけ、私の方を向いた。 「僕もまだはっきりとした事は言えないけれど、今の時点で異動の話は無いよ、大丈夫」 「良かった」 私は課長の手を握った。彼も強く握り返してくれた。その手は温かく、大きかった。この温もりが、すぐに消えてしまうなんて想像できなかった。ずっとここにあって欲しいし、あるべきだと思った。 この幸せを、誰が奪うと言うんだ。そんな事をした奴には天罰が下ればいい。 自分は人に言えない恋愛をしておきながら、そんな風に残酷な考えをする自分こそ、天罰が下るんじゃないか。今あるこの幸せが、酷く恐ろしかった。 |