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10

 泉は家に帰ると自室のパソコンを立ち上げた。インターネット検索で「大槻」「施設」で検索したが、介護施設や地域の施設ばかりが引っ掛かって来てしまい、絞り込む事ができなかった。
 泉のイメージでは、施設とは、親が何らかの理由で養育できない子供や、親がいない子供が入るものだと思っている。しかし、彼の言葉を聞く限り、それとは違った施設なのだろうか。もしくは入所する理由が他にあるのだろうか。
 学校はテスト期間に入った。部活動は禁止だ。日頃から勉学は優秀とは言えない泉は、大仰に伸びをした後、鞄から教科書とペンケースを取り出して勉強を始めた。
 そういえばこのペンケースを見て、こう君は私が緑色好きだって思ったんだっけ。そんな事を思い出しては、勉強を中断してしまう。
 学校では禁止されている携帯電話が、ベッドの上でジーっと震える音を出した。大輔からだった。
『学校だとなかなかアレだからさ、電話したんだけど、明日さぁ、放課後二人で話したいんだけど』
「うん、いいけど。朝のうちにこう君に言っとく」
『こう君には俺から言ってあるから大丈夫』
 そんなやりとりをして電話を切った。
 内容に心当たりはなかった。

 大輔は、浩輔がトイレに立った後をついていった。トイレのドアを開けようとしたその瞬間に「こう君」と後ろから声を掛けた。
 浩輔は驚いて振り向くと一転、「なに」と笑みを寄越した。
「あのさ、ちょっと協力してほしい事があって」
「ちょっと、しょんべんしてからでいい?」
 大輔はカラカラ笑って「じゃぁそこで待ってる」と親指で廊下を指差した。
「で、何?」
 手についた水道水を振り落しながら浩輔がトイレから出てきた。
「大きい声じゃ言えないんだけど」と、壁際に浩輔を招いた。浩輔はちょっと近すぎるとも思える位まで、大輔に近づいた。
「実は俺、本気で泉の事が好きなんだ。で、告ろうと思ってんの」
 浩輔はすーっと血の気が引いて行くような感覚に陥った。こんな事は初めてだ。気のせいか、呼吸も浅くなる。
「あぁ、うん。それで?」
 困惑はどうにか押し殺して、努めて笑顔で訊き返す。
「だから今日、何も言わずに先に帰ってくれないかなぁ? 誰もいなくなったら教室で泉に話するからさ」
 申し訳なさそうに言う大輔に「うん、分かった。頑張って」と言い、彼の肩を二回、ポンポンと叩いた。人の幸せを願うんだ。自分は幸せになってはいけない。

「はい、誰もいなくなったよ。話って何?」
 泉の目の前には、泉の前の席の椅子に跨るようにして大輔がこちらを向いている。肘をついて手のひらに顎を乗せている大輔と距離を取ろうと、泉は背凭れに背中をもたせ掛け、腕を組んだ。
「あのさ、俺いつも言ってんじゃん。お前に。俺にしろ、俺にしろって」
 泉は吹き出した。「それが何」
 先日大輔から借りたままになっていたうちわでぱたぱたと顔をあおぐと、ポニーテールがゆっくりと揺れる。
「あれ全部本気なんだよ。俺はお前の彼氏になりたいんだ」
 泉は手を止め、黙った。暫く視線がかち合っていた大輔から、すっと目を離し、スカートのプリーツを見つめた。
 何これ、どういう事?
 何も返事ができないまま腕をぎゅっと組んだ。別に嫌いじゃないけど、もし私が断ったら、何となくグループ内が変な雰囲気になりそうで嫌だし。嫌いじゃないなら付き合っちゃった方が楽かもしれない。
 「優しくても、相手の為にならない事はしない」ふと浩輔の言葉が頭を過った。恋愛感情を持っていないのに、付き合う事は、相手に失礼なんだろうか。気になる人がいるのに、大輔と付き合う事は、失礼な事なのだろうか。
 言いたい事はぽんぽん言える性格なのに、肝心な事はなかなか口から出て行かない事に歯がゆさを感じる。
 今は、友達が大切だ。五人で過ごす時間を壊したくない。
「そんなに考え込むような事なら、俺、諦めるよ」
 大輔が苦笑いしながら席を立とうとするのを、泉は「待って」と止めた。
「分かった。付き合おう」
 その言葉を聞いて、大輔は席から飛び跳ねた。
「まじかよ、すげぇ!やったー!俺、絶対ダメだと思ってた。やったー!」
 廊下側でドアに寄り掛かっていた浩輔の元にも全て聞こえていた。恐らく大輔が喜んで飛び跳ねて、その辺の机や椅子にぶつかっているのであろう音も聞こえている。
 これでいいんだ。これでいいんだ。俺は人を好きになってはいけない。俺は幸せになってはいけない。
「誰からも愛されてないって、自覚しろよ」
 あの男の声が、脳内で再生される。この世にはいない、あの男の声が。