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12

 またいつもの生活に戻った。
 くじ引きで席替えがあり、泉は一番前をひいてしまったが、目の悪いクラスメイトに「交換しない?」と持ちかけ、一番後ろの席に替わった。皆がそれぞれ裏取引をして、仲間とつるんで座っている。泉の横には大輔が座り、その隣には郁美が座った。
「お前ら、本当にくじびきか?」
 高橋に疑われたが、泉は「くじ運が悪くて」と言い、高橋は笑っていた。きっと全部分かっているのだろう。
 浩輔は、くじを引いてすぐに一番後ろの廊下側に歩いて来たが、誰かに交換を持ちかけられたのか、窓際の一番前の席に座っていた。
「だいちゃん、誰と交換したの?」
 大輔は不敵な笑みを浮かべ「誰だと思う?」と言うので、泉は「分からないから訊いてんじゃん」と苛立ちをぶつけるとあっさりと「こう君」と答えた。
 どくん、と心臓が拍動した。なんだ、こう君、隣だったんだ。
 彼氏である大輔が隣の席にいて嬉しいはずなのに、どうして大輔と浩輔がくじを交換してしまったんだろうと歯痒い自分もいて、困惑した。
 優しい浩輔の事だ、大輔に言われるまでも無く、自分から交換を申し出たのだろうと、泉は思う。大輔に訊くと、その通りだった。泉がクラスメイトとくじを交換していなかったら、浩輔の隣になる筈だった。
 泉は「うまく行かないなぁ」と呟き、拳でこめかみを抑えた。
 席替え以降、浩輔は「読みたい本がある」とか「予習しておきたいから」とか理由を付けて、四人の机に近づかなくなった。授業中は勿論話す機会なんてないし、部活でも話さない。水曜の帰りも何だかんだ理由を付けて一緒に帰らなくなった。
「気を遣ってくれてるんじゃない?」
 大輔はあっけらかんとして言うが、泉は納得がいかなかった。本当に気を遣っているのだとすれば、大輔は喜んでいる様子だったが泉は全然嬉しくないし、だけどそんな事を言って自分の気持ちが浩輔に知られてしまうのも困り物だった。
 何だかもやもやした物を抱えたまま、どんどん月日は過ぎて行き、週に一度話すかどうか、ぐらいまで遠ざかりつつあった。

「掲示物係、放課後に掲示物取りに来て。あとついでに、学年掲示板に貼る物もあるから」
 高橋の無茶振りに泉は頭を抱えた。学年掲示板って、あのデカいやつ。
 それでも久々に回ってきた掲示物係の仕事で、浩輔と話す機会が持てると思うと泉の胸は控えめに高鳴った。
 帰宅する生徒や部活動に行く生徒の合間を縫って浩輔の所にたどり着いた泉は「どうしよっか」と話しかけると、いつもの、壁を隔てたような笑みを浮かべた浩輔が「とりあえず俺が教官室に取りに行ってくるから」と言葉の途中で既に動き始めていた。
 後を追おうかと思ったが、やめた。きっと小走りに、もう階段を降り始めているだろう。

「結構な量があるよ」
 積み重なった大小の掲示物を二つの山に分け「こっちが学年、こっちがクラス」と指差した。
「じゃぁ学年のを先にやっつけてこようか」
 掲示物の束を持った浩輔がそう言うので、泉は画鋲の箱を手に、教室を出た。廊下にはちらほらと生徒の姿はあるが、上履きの足音が聞こえるぐらい、静かだった。
「最近あんまり話してないけど、どう? 部活とか」
 何を訊いたら良いのか迷って、結局毎日見ている部活の事を訊いてしまって、泉は言ったそばから後悔した。
「部活とかって、毎日見てるでしょ。あんな感じだよ。泉ちゃんは、だいちゃんとうまくいってるの?」
 あまり突かれたくない話題に「あぁ、まぁ」と曖昧な返事しか出来なかった泉は、画鋲の入った箱を振りながら、思い切って訊いた。
「あのさ、お昼ご飯、どうして一緒に食べないの? 何か気を遣ってる?」
 紙を壁に押さえつけ、画鋲を刺そうとした指を止め、作ったような笑みを寄こした浩輔は「遣ってないよ」と言い、作業を続ける。泉も隣で同じような作業をしながら話を続けた。
「私は、こう君とも一緒にお昼ご飯、食べたいんだけどな」
 自分の顔が熱を持った事に気づいていたが、泉はそう伝えずにいられなかった。夏休み前までは一緒だったのだ。それがどうして今は駄目なのか。
「だいちゃんに、協力してって言われてるからさ」
 泉は目を丸くして「それって協力のうちに入らないでしょ」と即座に言うが、浩輔は画鋲を刺す指に力を込めながら「そうする事で、だいちゃんは気兼ねなく泉ちゃんと話ができるでしょ」とすらすら答える。力を込めた親指は、一瞬にして白く変色する。
 画鋲が掲示板の固い部分にあたってしまい、刺しこめないでいると「かして」と言って泉の横へ並び、親指でぎゅっと押し込んでくれる。またこう君の親指の色が、白くなる。
「でもさ、だいちゃんはいいかもしれないけど、私はこう君と食べたい。それに......」
 浩輔の心臓がどくんと一度、跳ねた。
「それに」
 一つ大きく深呼吸をした泉は、腹を括った。
「私の隣になるはずだったのに、くじ、交換したでしょ。だいちゃんと」
 空虚な瞳を寄越した浩輔が「したよ。だいちゃんのために」と答える。そこには何の感情ものっていなくて、流れ作業でもしたような言草だった。
「全部、だいちゃんのため。でも、もし私が、こう君の隣が良かった、って言ったらどうする? こう君とご飯が食べたいって言ったらどうする? だいちゃんと私、二人に同時に優しくなんて、できないでしょ?」
 全ての学年掲示物を掲示し終えると浩輔は、震える手で古い掲示物を抱えた。
 誰かに優しくする裏で、気分を害する人間がいるという事まで、浩輔は考えていなかった。矛盾を指摘されたようで、隠しきれない狼狽は手指に現れた。
「泉ちゃんは、だいちゃんと一緒にいたいでしょ。だって恋人同士なんだから。悪いようにはしてないと思うんだけど。怒らせるような事、してる?」
 先を歩きながらちらりとこちらを振り向く浩輔の顔を、泉は直視する事ができなかった。大輔と付き合っているという事実。それがある限り、浩輔の言っている事は正しいのかも知れない。俯いたまま無言で教室まで戻った。

 教室の掲示物の方が量が多くて、剥がす枚数も多く、時間が掛かりそうだった。
「後は俺、全部やっておくから、泉ちゃんは部活行っていいよ」
 浩輔はこれ以上、矛盾を突かれてボロを出したくなかった。しかし泉は強い口調で「いやだ」と一言言って、貼ってある掲示物をはがす作業を始めた。
「どうしてそんなに、誰にでも優しくしようとするの?」
 泉の横顔は、少し苛立っているなと、浩輔には感じた。苛立ちをきちんと解消させるためにも、ここに残って俺と話をしたいのか。浩輔は口を開く。
「前にも言った通り、罪滅ぼし。贖罪って言うのか。俺は誰かの為に何かをしてるだけでいいと思ってるから。自分の幸せは求めてないんだ」
 振り向いて古い掲示物の山に紙を置き、取り外した金色の画鋲を箱にしまう。
 泉は苛立ちを隠しきれず、俯いたまま両手に拳を握って浩輔に身体を向けた。浩輔の横顔に向かって前のめりに言葉をぶつけた。
「ねぇ、何があったの。私、知りたいんだよ。こう君の全部。知りたいんだよ」
 顔を上げ、それまで向けなかった視線を浩輔に向けると、偶然にも捉えた浩輔の視線にぶつかった。
「知りたいの。幸せになれないって言ってるこう君の事が好きだから。どうすればこう君が幸せになれるのか、知りたいの」
 泉は、もう全て手放すつもりだった。自分の事よりも、浩輔の事を考えていた。大輔と別れる事になってもいい。浩輔の全てを知りたい。幸せになれないという理由が知りたい。浩輔を幸せにしてあげるにはどうしたらいいのか。
 浩輔は掲示物を壁に押し付けたまま、動けないでいた。全身が拍動するように熱い。どうしたらいいんだろうかと、頭を巡らせる。
 大輔に「協力してほしい」と言われたのに、彼女はそれとは逆の事を言う。言うに事欠いて「好きだ」と。こんな俺にどうしろと言うんだ。
 浩輔は壁に手をついたまま俯き「知ったら、後悔するよ」と言った言葉はくぐもっていた。
「いいよ。知らないより知ってる方が、諦めがつくと思うし」
 近くにあった椅子を一つ引出し、泉は別の椅子に腰かけた。しかし浩輔は作業の手を止めず「俺は作業しながら話す方が、話しやすい」と掲示物の山を振り返り、一枚手に取った。
 どこから話そう。俺には過去が多すぎる。浩輔は少し目を瞑った。過去とはいったいなんなんだ。どの点を指すのか。
「今の施設は二か所目なんだ」
 うん、と泉が静かに頷く。浩輔は何かを振り切るように、瞑った目をぱっと開いた。
「前の施設は、子供が行く刑務所だ」
 泉が息を飲むのが聞こえた。けれどもう、トリガーは引かれた。浩輔は全てを話す決意をした。幼い頃からの話をした。