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13

 物心ついたころから、本当の父親はいなかった。一緒に住んでいるのは父親ではなかったんだよ。幼心でも何となくそれを感じ取って、絶対「お父さん」って呼ばない俺の事を、そいつは叩くようになった。
 叩くと痛くて泣くから、叩きたくなるとその男は俺の口をタオルで、猿ぐつわみたいにして縛るようになった。だから近所から「虐待している」なんて通報も入らなかった。幼稚園にも入れられないまま小学生になったんだ。
 母ちゃんのお腹が大きくなってきた頃から、叩くと言うよりは殴ると表現する方が正しいような暴力が振るわれるようになった。背中も腹も、痣だらけでね。母ちゃんのお腹には妹がいた。
 結構力の強い男でさ、殴られると俺は立っていられなくて、その場に転がると必ず目に入るのはフローリングの四角い板、畳の四角い縁取り、天井の白い四角いクロス。何でもかんでも四角かった。
 妹が生まれた頃にはもう、俺は大声で泣く年齢ではなくなってたし、泣いたって何も変わらないって思ったんだ。だからタオルで口をふさがられる事はなくなった。その代り、泣く以外の表現方法を求められたんだな。
 小学校の身体計測の日を確認して、その前後は殴られなかった。代わりに、風呂の浴槽に何度も頭を沈められて、何も悪い事をしていないのに「生まれてきてごめんなさい」って謝るまで何度沈められた。その浴槽も四角いなってふと、思った事を覚えてる。風呂場も四角い壁で囲まれててさ。
 頭は濡れたまま、全裸でベランダに放り出されると、ゴツンと頭がぶつかったベランダのコンクリートもまた、四角かったな。
 秋から冬にかけての冷たい風が吹きすさぶ夜は、ベランダに積んであったスタッドレスタイヤで風よけをして寒さを凌いだ。ゴムって結構、暖かいんだ。
 母ちゃんは初めのうち、虐待はしなかったけど、妹ができてから「浩輔の事は嫌いじゃないけれど、受け入れられないの」って言った。俺は酷く傷ついたよ。
 そのうち俺の分だけ夕飯を作ってくれなくなった。これは母ちゃんから受けた初めての明確な虐待。唯一、給食費だけはきちんと払っていてくれてたのか、昼ご飯だけは学校で出される給食にありつけるから、飢えて死ぬような事は無かった。だけど日に日に痩せて行ったね。
 男は、殴って蹴って気が済むと、今度は俺の手のひらを灰皿にして煙草を吸うんだ。俺は手のひらを椀型にして正座して待たされて、煙草の灰をキャッチした。吸い終わった煙草は容赦なく手のひらに押し付けられて、もみ消される。そのうち熱さも痛さも分からなくなってくるんだよ。俺がバレーボールを始めたのは、この傷を消したかったからだ。ほら、手のひらがケロイドになってるでしょ。
 記憶が正しければ小学校三年の冬だった。いつものように、風呂場で顔を何度も沈められて、俺は一度意識を失った。目が覚めた時は全裸でベランダにいたんだ。水でも掛けられたのか、全身濡れていて、冬の寒さで体が凍りそうだった。でも生命力が強かったんだか、生きてた。
 ちょうど雨が降り始めて、不思議な事に雨は温かくて、俺は雨に濡れるようにベランダの柵から身体を乗り出した。あの雨がなければ俺は、凍え死んでいたと思う。冬の冷たい雨が温かく感じるなんて、相当俺の身体は冷えてたんだな。
 風呂場で意識を飛ばさせるのが男のお好みになったようで、俺は死を意識し始めた。この冬を越す事が出来ないんじゃないかと思ったんだ。
 妹の幼稚園のお弁当の華やかな装飾を見て、彼女から母親を奪う権利は俺にあるんだろうかと考えた。だけど、俺をこの世に産んでおいて、俺を見殺しにしようとする母ちゃんは許せなかった。勿論、俺を殺そうとしているのは男だけど、それを黙認している母ちゃんも同罪だと思った。ただひとつ、妹の事が不憫でならなかった。
 俺は明確な殺意を持って、下校してすぐに母ちゃんを滅多刺しにしたんだ。妹には「大丈夫だから」って言い聞かせた。俺の真っ赤になった顔を見て、初めこそ泣きはしたけど、そのうち静かになっておもちゃで遊び始めたから、俺はシャワーを浴びて着替えをした。
 男が帰ってくる時間に合わせて俺は外の物陰で隠れてたんだ。奴が玄関を開けた瞬間に、背中から切りかかった。振り向いたそいつをガンガン刺した。俺の頭を浴槽に沈めた時みたいに、俺は頭をぶんぶん振って、そいつを滅多刺しにした。一刺ししたんじゃ人間って簡単に死なないんだよね。だから何度も。念入りに。母ちゃんは生きてても良かったけど、あの男は必要なかった。
 そして110番に電話をしたんだ。そこからはよく覚えてない。気が確かになった時にはもう、更生院に入れられてた。虐待の事実はあったから、刑はそんなに重くなかった。ただ、俺は「明確に殺すつもりでやった」と、何度も訴えた記憶がある。俺は両親を殺したんだ。可哀想な子だと思われたくなかった。俺は殺したくて殺したんだから。
 それからしばらくしてからかな。いくら虐待されてたとは言え、俺は二人の人生を潰した。産んでくれた母ちゃんの事、一人になった妹の事を考えると、俺は幸せになっちゃいけないと思ったんだ。少なくとも、今どこにいるのかさえ分からない妹が、誰かの家に嫁ぐまでは、俺は日陰の存在でいようと思った。ひたすら優しく、誰かの役に立って、自分の幸せは願わずに生きて行こうって決めたんだ。
 ばあちゃんもじいちゃんも、俺なんて絶対に引き取らないって言うし、親戚も全部だめ。そりゃそうだよ、実の親を殺した子供なんて、引き取る親戚がいる訳がない。養父母ってのも全部だめ。結局、出所してからは今の施設にお世話になってるんだ。