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 六月に行われるインターハイ予選が、三年生にとって最後の大会となる。
 地区の強豪である男子バレーボール部は、スタメン争奪戦が熾烈だ。顧問の高橋は完全実力主義で、高学年だからといってスタメン起用をしたりしない。だから二年の大輔は三年生を差し置いてスタメン候補に入っただけでも小躍りしていた。
「今日スタメンが決まるんだよ。俺がスタメンになったら、泉、インハイ予選応援しに来てよ」
 移動教室のない休み時間に、浩輔の席まで遠征してきた大輔が、トイレから戻った泉を捕まえて開口一番、こんな事を言うので、泉は顔を顰めた。
「やだよ、そんな青春漫画みたいな。つーか私だって当日、白山高校で試合だしスタメンだし」
 当たり前の様に言う泉の言葉に、隣の浩輔がクスクス笑っている。窓を背に顔を覆う大輔は「女子はいいよな、人数少なくて」と指の間から声をもらした。
「つーかこう君すげぇよな、入部していきなりスタメン候補だもんな」
 浩輔は狭い机の下から片足だけ外側に伸ばし「いやぁ」と返事に窮しているので、泉は大輔に釘を刺した。
「上には上がいるんだからね、自信過剰は痛い目みるよ」
 確かに大輔は、三年生を差し置いてレギュラーメンバーに入れる実力の持ち主である事を、泉はよく知っている。
 男子と女子は一面のコートを時間で区切ったり、ネットで区切ったりして使う。中学の頃から同じだ。コート全面を明渡して筋トレしている最中に、男子の練習を見る事も毎日だ。だから大輔の動きは毎日のように見ている。
 不動のエース小出先輩の隣で、左から切り込むように自由自在にスパイクを打つ大輔。ジャンプ力だってかなりものだ。サーブは独特のドライブサーブで、あっという間に敵陣を突き刺す。
 だが、泉は男子の練習を見ていて、小出先輩に負けぬとも劣らない凄い部員がいる事を知った。それが、浩輔だった。
 練習のお手本のような綺麗なトスに対しては確実に鋭いスパイクを決めるのは大輔と同じだが、最高到達点が違いすぎる。ゲーム中の、自分の後方から流れて来るような難しい二段トスに対しても確実に空いているコースへ打ち込む。サーブは鋭く左右に揺れるサーブで、守備面でもレシーブ範囲が広い。
 だから大輔に、過剰な期待は持ってほしくなかった。ライバルは、近くにいるんだぞ、と伝えたかったのだ。窓を背にして浩輔と談笑する大輔には、余裕な態度が透けて見えていた。

「それじゃ、スタメン六人と、控え六人、順番に発表するからな。まず小出」
 小出先輩が険しい顔で返事をする。次に呼ばれるのは誰か、皆が自分の名前が呼ばれる事を願う瞬間だ。張りつめた空気の中で大輔は、六番目でいいから自分の名前を呼んでくれ、と高橋が持つ白い紙を見つめながら願って。
「次が渡部」
 意外な名前に、数十人いる部員が騒然となった。まだ入部して数ヶ月で、スタメンの二人目に名前が呼ばれるなんて、前代未聞だ。
「何だ、文句ある奴は前に出ろ」
 高橋がそう言うと、水を打ったように静まり返る。大輔の対面にいた浩輔は、ずっと俯いていた。騒然となった事に、気分を害したのかも知れない、と大輔は思う。
「木、矢作、楠本、井川、ベンチは浅宮、白須......」
 あと一人。あと一人で俺はスタメンだったんだ。こう君以外、全部三年生だ。こう君がいなければ、俺が一人、二年生のスタメンだったんだ。
 浩輔と大輔の視線がかちあった。大輔は鋭い視線を向けたつもりはないが、浩輔はすぐに視線を再び足元へと落としてしまった。
「まぁ、本番まであと一週間、何があるか分からないから、コンディション整えとけよ。風邪ひくとか、ほんっとやめてくれよ」
 ウッス、と低い声が体育館に轟く。
 こう君がスタメンか......。女々しいとは思うが、大輔は悔しくて仕方がなかった。何で入部したてのあいつが、大事な試合でスタメンなんだよ。床を拭ったモップを、力任せに倉庫へ投げやった。

 浩輔は汗をたっぷりかいた練習着をさっさと脱ぎ、ビニール袋に入れて制服に着替えると「おつかれっした」と更衣室内に声を掛け、誰よりも早く門を抜けた。居心地が悪かった。
 あの非難めいたどよめき。浩輔は寒くも無いのに身震いがした。自分は何も悪くない。分かっている。だから、このまま試合に出る事は当然な事だと思っている。
 だが、人間の心は物事を割り切る事に長けておらず、いや、物事を割り切る事がヘタクソだ。俺が試合に出る事、スタメンに選ばれた事によって気分を害する人間が幾人も出る。実際、あのどよめきは、そういう事だろう。
 例え試合に出る事ができても、浩輔は他人からスタメンの座を奪ったり、人を傷つけてしまう事の方に、より恐怖を覚えた。駅までの道すがら、脚が震えて、いう事をきかない。走る事にした。少し湿り気を帯びた空気に触れていると、さっき引いたはずの汗がじわっと湧き出る。それでも駅まで走り、電車に飛び乗った。部員の誰にも会いたくなかった。
 トンネルに入った電車の黒い車窓に映る自分の姿をじっと見つめた。誰かの為に。償うために。優しさを。
 ボッと圧力が抜けるような感覚がして、トンネルから抜け出ると、車内の明るい照明と窓に映る街の灯りが喧嘩をして、自分の姿はとぎれとぎれにしか見えなくなった。