29 朋美



母子手帳も、キーホルダーも、燃えるごみの中に捨てたという。
私には察しがつかない。『辛い』なんて簡単な言葉では言い表せないんだと思う。
こんな時、同じ気持ちが共有できたらどんなに楽かと思う。志保ちゃんの苦しみを、半分共有させて欲しいと切に願う。

「体はもう、落ち着いたの?」
「うん。止血剤も飲んでるし。痛みもないし大丈夫みたい」
少しやつれた表情に、無理やりに笑う笑顔が痛々しい。
「彼は――彼は何て?」
「まぁはっきりとは言わないけど、嬉しいんじゃないかな。邪魔者がいなくなって」
さすがにはっきりとは言わないけどね、と再度付け加えた。
訊いてもいいのか迷ったが、訊かなければ何の協力も、理解も出来ないと思い、思い切って訊いてみた。
「流産の理由って、分かったの?」
更に悲しい表情になった。こんな表情、見ていられない。もう、笑っているのか泣いているのか分からない。
「泣きたかったら泣いていいよ」
 私は部屋にあるティッシュを箱ごとテーブルに置いた。「ありがとう」と消え入るような声で志保ちゃんは答える。
「理由は多分、憶測でしか判断は出来ないけど、前日に暴行されたんだ。お腹を中心に蹴られて、痣だらけ。あんな小さな命が死なない訳がないよ。よく、1日も――持ち堪えてくれたと思う――」」
ポロポロと涙が零れ落ち、志保ちゃんが座る青い座布団を紺色に染めていく。
「そっか。それは辛かったよね。赤ちゃんも頑張ったんだね。痛かっただろうね。苦しかっただろうね。」
志保ちゃんの横に座り、背中を擦る。嗚咽が止まらない志保ちゃんを何とか鎮めようとするが、うまく行かない。

「彼じゃなきゃ、ダメなのかなぁ」
思った事をポツリと言ってしまった。
俯いていた顔を上げ、泣きはらした顔で「分からない」と答える。
「他人で、施設で育った訳じゃない私が言う事だから、気に障ったら遠慮せず言ってね。もう、志保ちゃんの気持ちは愛情じゃなくて情なんじゃない?そりゃ赤ちゃんが出来た時は嬉しかったと思うけど、相手が嬉しい顔をしていないって見抜いていたよね。純粋に愛しているなら、その時点で『どうして?』って問い詰めると思うんだ」
「そうだね、問い詰めるのが普通だね。でも私、今にして思うんだ。赤ちゃんが出来たら、明良に依存してる分が赤ちゃんに半分移るんじゃないかって。同じ様に明良も半分、赤ちゃんに依存するようになるんじゃないかって。そう思って私は嬉しかった。少し、身が軽くなるかなって」
実際には、彼氏はそれを危惧していた訳だ。志保ちゃんの依存が、愛情が、赤ん坊へ半分移ってしまう事。それが許せなかったんだ。
テーブルに置いた紅茶をひと口飲んだ。
「私ね、自分が置かれている状況が、完全な共依存で、DVだって事、自分で良く分かってた。私と明良はお互いに依存し過ぎてるって良く分かってたんだ。だから、赤ちゃんが出来て凄く嬉しかったの。2人の世界が3人になるって。だけど、DVが子供に及ぶ危険性があったんだよね。そう思うと、結果的には、良かったのかな」
私も紅茶をひと口飲んだ。だいぶ冷めてしまった。
子供を持つ事と、依存が軽くなる事の関係性はもしかしたらあるのかも知れない。
だけどそれは、双方が同じように依存度を薄める事でうまく行く。
今回は彼の依存が志保ちゃんだけに集中していた。これは絶対に、絶対に今後も変わらないだろう。
志保ちゃんは、これから彼の依存から抜け出す方法を考えなければならない。

「もっと早い段階で、きちんと言ってあげられなくて、ごめんね。」
私が気付いた時点で「それはDVだから、抜け出さなきゃ」って嫌われるのを覚悟で言ってあげたら良かったと後悔している。志保ちゃんはもう出尽くしたであろう涙をまた流しながら、首を大きく横に振った。



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