「志保ちゃんっ」
駅前の柱に凭れ掛かっていた志保ちゃんに、後ろから声を掛けた。ボブの髪がサラっと揺れた。
「わぁ、朋美ちゃん。後ろから来ると思わなかったよ」
「何か考え事してた?近くまで来ても全然気づかないんだもん」
「そりゃ何も考えずにポカーンと突っ立ってる訳じゃないんだよ」
そっか、あははと笑って歩き出した。
久しぶりに一緒にお昼ご飯を食べる事になった。
志保ちゃんは大学の同級生で、履修科目が殆ど同じだったため、講義で顔を合わせる事が多く、自然と友達になった。
彼女はその時まだ施設から大学に通っていて、「奨学金で通ってるから」と言って人一倍勉強をし、成績優秀だった。そして大手企業に就職した。
カッコイイ彼氏がいて、勉強も出来て綺麗。そんな志保ちゃんに私は少なからず憧れを抱いている。
新しくできたタイ料理のお店に行く事にした。麺かご飯のメニューから一品、そしておかずはビュッフェ形式になっている。
志保ちゃんは細くて小さいのに良く食べる。食べた物はどこに行くんだろうと不思議に思う。ビュッフェ形式なら志保ちゃんも満足だろう、と、お店を選ぶのにも志保ちゃん視点で考えてしまう。
「じゃぁ私はAセットで」
「私はCにします」
志保ちゃんは麺、私はご飯を選んだ。各々が好きなようにおかずをお皿に盛りつけて、席に戻った。「旨辛ぁ」と志保ちゃんがニコニコしながら言った。良かった、喜んでくれてる。
「最近はどうなの?彼とは順調?」
この話をすると、決まって顔が一瞬曇るのが気になっていた。ここ1年ぐらいだ。丁度就職した頃から。彼と同棲を始めたころからだ。
一緒に暮らす事で見えてくる、色々な苦労ってものがあるんだろう。そんな風に思っていた。
顔が曇るのは一瞬で、すぐにいつもの志保ちゃんに戻る。
「まぁ束縛屋さんだから、色々あるけど、うまくやってるよ。今日は朋美ちゃんと一緒だからって言ったら、ちょっと安心してたよ」
彼女はにっこり笑い、私もつられて笑った。
「いいなぁ。私なんて入社して『いいな』と思った人には必ず彼女持がいるんだよ。彼氏なんてできる気がしないよ」
その点、志保ちゃんは中学の頃にプロポーズされた彼氏がいる。私がこんな風にあたふたしている気持ちなんて、分からないんだろうなぁ。嫉妬心あり、羨ましくもあり。
筍の炒め物を口に運ぶ。あぁ、美味しいけど、辛い。
「彼女がいたって、もう末期かもしれないよ?すぐ別れるかもよ?朋美ちゃんが好きって言ったら振り向いてくれるかもよ?」
もぐもぐと口を動かしながら、私がアイドルになる可能性よりも低い低い可能性について志保ちゃんは語る。
「世の中そんな風にうまく出来てないのっ」
もう、と吐き捨てる様に言い、辛いけど病み付きになる筍をもうひとつまみする。
「もうこの年齢になってくると、相手が自分に振り向いてくれるって、ある程度分かってからじゃないと、アタックできないんだよね。失恋するのが怖いんだよね。しかも同じ会社の社員だったりすると余計。ほら、噂って風の速さで伝わるじゃん?」
「そだね。特に恋愛関係はね」
「だから、私の事を『いいな』って言ってくれる人が現れてくれると、私も恋に落ちる事が出来るかもしれないなー」
「んな消極的な――」
「志保ちゃんには分かって貰えないよ、ぐすん」
と、涙ぐむフリをしてみる。志保ちゃんは口を押えながら笑った。
「お茶しますか」
タイ料理をたらふく食べた私たちは、志保ちゃんのひと言で次の目的地をカフェ「ディーバ」に定めた。ビルの2階にあり、大きなガラス窓からは、目線と同じ高さに走る電車が見える、2人のお気に入りカフェだ。
私はマンゴーフラペチーノ、志保ちゃんはカフェモカを頼んだ。まだフラペチーノを飲むには寒い時期だった、と注文をした後に後悔した。
「木曜にもここ、来たんだ」
窓際にひとつだけ空いていた席につくなり、志保ちゃんは言った。
「え、そうなの?彼と?」
「ううん、同期の男の子と。私の歓迎会の帰りにね。彼の酔い覚ましの為に」
「え、それって彼氏に知れたら烈火の如く嫉妬されるんじゃない?大丈夫?」
志保ちゃんの彼の嫉妬深さはよく知っている。あまりエスカレートすると――とは考えたくないけれど。女の私が相手でも嫉妬する事が過去にはあった。
「それがね、あそこの木、見える?」
「うん」
そこには大きな桜の木が植えられていた。既に花は散って葉桜になっている。
「あそこから見られてた」
「えぇぇぇぇっ。何で?大丈夫だったの?」
「大丈夫ではなかったけどね。相手がね、今後も付き合いがある同じグループの同期君だから、困ったなぁと」
相手が男とあっては、それは嫉妬も膨れ上がるだろう。
志保ちゃんの「大丈夫ではなかったけど」というひと言に、何かしら違和感を感じた。そこは普通「大丈夫だったよ」というべきだろう。
「まぁ、普通は、仕事の相手だから、って割り切ってもらうんだろうけど、志保ちゃんの彼の場合はちょっと難しいよねぇ」
「ん。次見つけたら同期君を殺すって」
「はぁっ?殺害予告?」
ため息を吐きながら小さく頷く志保ちゃんの顔をまじまじと見た。
嫉妬されて嬉しいなんていう気持ちは微塵もなさそうだ。本当に、困っているんだ。
「ちょっとそれは危険だよ。今度は2人きりでお茶なんてしないようにした方が良いよ。何と言うか――こんな事言うのもアレだけど、志保ちゃんの彼ならやってのけてしまいそうな――。ごめん」
志保ちゃんは静かに笑って首を振った。
「謝らなくていいよ。ホント、やりそうだから困っちゃうよね。次は2人きりは避けるようにする」
彼の強烈な嫉妬に対して、怒るでもなく笑うでもなく。まるでそれを享受してしまっている志保ちゃんを、本当に心配するようになったのは、この頃からだったと思う。時々しか顔を合わせない私に、こんな話をしてくれるのは、何かのサインだったのかも知れない。
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