8 令二



6月に入った。志保ちゃんはこのグループに入って2ヶ月だと言うのに、どんどん実験データを出し、いい結果を出している。俺はと言うと――ハズレくじばかり引いている状況だ。
外からザーという雨音が聴こえる。室内にいてもこれ程の音がするのは相当な雨だ。また雨か――。自転車で通勤している者にとって、梅雨ほど迷惑な季節は無い。今日俺は、傘を持っていない。あぁ、この雨が通り雨でありますように。
「あちゃー、暫く振りそうだね」
パソコンの画面でメッシュ状の雨雲レーダーを見ながら志保ちゃんが言った。
「まじでか。俺傘持ってないよ、やべぇ。通り雨って事はないの?」
「ないね、ほら、こっちまでずっと赤色」
志保ちゃんのパソコンに顔を近づける。志保ちゃんの顔がすぐそこにある。何か、良い匂いがする。おっと、正気に戻れ、俺。
「ほ、ほんとだ。止みそうにないなぁ」
雷まで鳴りだした。窓がビリビリと振動する。

 志保ちゃんが居室から出て行き、戻ってきたときには青い長傘を持っていた。
「これ、貸すよ。私、折り畳み持ってるから」
そう言って俺のデスクに傘を引っかけた。
「えぇ、いいの?助かるー。ありがとう」
天気予報ぐらい見てきなよ、と志保ちゃんの冷たい言葉を浴びたが、ちらと見た志保ちゃんの顔は控えめに笑っていた。本気で怒ったら怖そうだけど、本気で笑ったら凄く可愛いんだろうな。
どういう時に、本気で笑うんだろう。彼氏の前では沢山笑顔を見せるんだろうな。
俺とした事が、3股も掛けておきながら、志保ちゃんに心惹かれている事に少し、落胆した。どれだけ女を誑し込めば気が済むんだよ、俺。

志保ちゃんはさっさと仕事を終わらせて、定時で帰って行った。俺は文献を読み漁り、気づいたら20時を回っていた。そろそろ帰るかと帰り支度をし始めて気づいた。雨の音が止んでいる。
裏口から外に出てみると、かぐや姫でも降りて来そうなでっかい月が見えていた。雨上がりの、湿気を帯びた温い匂いがした。
「止んだじゃん」
誰に言うでもなく呟き、居室に戻ると、青い傘を志保ちゃんのデスクにひっかけた。黄色いポストイットに「ありがとう」と書いて、傘に貼った。



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