inserted by FC2 system




4:尾行

「へぇー、本当に同じポスターだなぁ」
 葉子の部屋に入って来てすぐ、目についたそのポスターを見た。
「女の部屋の匂いがする」
「きもいんですけど」
 掃出し窓を背に、部屋を見渡す。
「俺の部屋よか少し広いんだな」
 晴人の隣に葉子が立ち、手を広げる。
「広いんだけどね、ピアノが場所とるし。そのうちギターの騒音も聞こえてくると思うよ」
 晴人はギターに目を移した。
「パンク好きなのに、テネシーローズか。何か、可笑しいな」
「ギター好きとパンク好きは関係ない。ただ単にギターが好きなの」
「何か弾いてよ」と言われたが、葉子は首を横に振って断った。
 ずっとピアノを習っていた。ある事を切っ掛けにパンクロックにのめり込み、ギターに興味がわいた。
 ちょっとした興味でギターを買いに行き、楽器屋に並ぶギターの中で一目惚れしてしまったのが、グレッチのテネシーローズだった。ローンを組んで買った。
 それからは独学でギターを学んでいるが、改まって人に聞かせられるレベルではないと思っている。
「晴人は楽器やらないの?」
「俺は聴くのと暴れるのが専門だな」
 葉子は掃出し窓から外を見た。レースのカーテン越しに、ある人物が立っているのが見えた。
「まただ――」
 葉子の視線の先にいる、顔の整った青年を、晴人は視認した。
「誰?」
「会社のストーカー君」
 あまりに軽い感覚で葉子の口から出た「ストーカー」と言う言葉に、罪の重さが感じられなかった。
 ストーカー君である中村君と葉子は同期入社で、研究所が違うが時々呑みに行ったりする仲だった。
 ある日彼から「好きだ」と告げられたが、葉子は「友達としてしか見れないから」と断った。
 しかし、葉子には彼氏がいない事を中村君は知っていて、諦めずアタックをし続けている。
 時々こうやって休みの日に家の前まで来て、葉子が一人で外に出てくるのを待っている。
 以前は呼び鈴まで鳴らしてきたが、ここはシェアハウスで自分以外の人間も住んでいるから、こういう事はやめてくれと頼んだのだ。
 根は悪い奴ではない中村君。
 それからは呼び鈴は鳴らさないが、敷地の外で葉子の「出待ち」をするようになった。
「彼、カッコイイじゃん、何がダメなの?」
 カーテン越しに見える彼を見て晴人はそう言ったが、葉子は首を振った。
「だって、アイドルとか、J−POPにしか興味が無いような人と、プライベートで気が合う訳ないじゃん」
 ブッと晴人は吹き出して笑った。
「パンクばっか聴いてる研究員見つける方が至難の業だぞ」
「だって一緒にライブとか行きたいじゃん」
 口を尖らせて言った。その言草がまるで駄々をこねる子供の様で、「お前、かわいいな」と何ともなしに言った。
 その言葉で葉子は顔を真っ赤にして、グーにした手を晴人の腕にガンと打ち付けた。
「バカにしてんだろ、帰れ、自分の部屋に帰れー」
「なぁ、あのストーカー君の家、知ってるのか?」
 俺に良い案がある、と策士の様な顔で晴人がある提案をしてきた。


 中村君の家は、比較的駅に近い、ワンルームマンションだ。
 翌日の日曜日、彼のマンションと車道を挟んだ道で、葉子と晴人は中村君の「出待ち」をしていた。
 彼のマンションは、玄関が道路に面しているので、玄関からの人の出入りが道路側からよく見える。
「奴が玄関を出たら、行動開始だからな」
 葉子は気合を入れるように、うしっ、と言った。
 三十分ぐらい待った。雨雲が頭上を覆おうとしていた。時間が無い。
 と、目的の玄関が開き、顔立ちの整った中村君が出てきた。
「よし、あの辺まで戻って行動開始な、葉子、照れるなよ」
 うしっ、もう一度気合を入れた。

 中村君が階下に降りて来た。五十メートルほど離れたところから歩いて来て中村くんと車道を挟んで通り過ぎたのは、晴人の腕に絡みつきながら歩く葉子の姿だった。
 ベタベタと絡みつきながら、顔を覗き込むようにして晴人に話しかけている。葉子は中村くんの視線を感じた。
 きっと中村君の目にこの光景は焼きついただろう。もう、ストーカー行為もしてこないだろう。
 横山さんには彼氏がいる。しかも、一見怖そうな、パンクな彼氏だ?かなう訳あるまい。

 直線道路から横道に逸れるとすぐ、振り解くように葉子は晴人から手を離した。彼女の顔は耳まで真っ赤だった。
 それを見た晴人は笑いを堪えるのに必死で、痙攣している様だった。
「仕方ないでしょ、男の人とこんなの、した事ないし」
 アハハハと今度は声高に笑い始めたので、葉子は晴人を置いて、プイと家の方向へ歩き出した。
 勿論恥ずかしいという気持ちはあったが、それ以上に、自分の理想とするような男性と腕を組んで道を歩いた事が嬉しくもあり、その気持ちを察知されまいと下を向いて歩いた。
 腕に絡みついたあの瞬間、葉子は自分の跳ねる心臓の鼓動に気づかれていないか心配だった。
 顔は健人と殆ど同じ筈なのに。おそらく健人となら恥ずかしくも無く同じ事ができたのに。
 何故晴人だとドキドキするんだろう。
 何となくその答えを頭のどこかで理解していた。
 ぽつぽつと雨が降り始めた坂道の途中で、後ろから晴人が話し掛けてきた。
「俺の彼女も、同じような事、あったんだよ」
 葉子は急に足を止めたので、後ろを歩いていた晴人は葉子にぶつかった。
「彼女?」
「うん。何、俺、彼女いなそうに見えた?」
 べぇつに、と吐き捨てるように言い、さっきよりも早い歩調で葉子は歩いた。
 いつもそうだ、好きじゃない人には好かれるのに、好きだと思う人には彼女がいるんだから。人生うまくいかないんだから。
 晴人は着ていた薄手のカーディガンを、雨避けの為に葉子の頭にふんわりとかぶせてやった。


「今日は、彼氏には逢いに行かないの?」
 ソファに座る健人が、対面で雑誌をめくるスミカに話しかけた。
「毎日毎日デートなんてしてたら飽きるよ。旅行帰りだし」
「そんなもんかな」
 テーブルに置いてあるクッキーはスミカが彼氏と旅行に行った土産だ。
 健人は包装をビリリと破り、中身を「いただき」と言って口に放る。「うま」
「健人はデートするような彼女、まだできないの?研究ばっかり?」
 健人の顔を見ずに、雑誌をぺらっと捲る。
「いいなぁと思う人が近くにいても、なかなか、ね」
 雑誌から顔を上げると、無心でクッキーを頬張る健人がいた。
 その「いい人」が自分であればいいのに、スミカは人形のような大きく丸い眼から、健人がもう一つのクッキーに手を伸ばすのを見ていた。

 それは欲張りなのかな。そんな風に思う。
 スミカには学生時代から付き合っている武という男がいる。同僚でもある。
 付き合いは長いが、結婚の「け」の字もなく、関係を盛り上げるために一泊旅行に行ってみたが、ただただいつもの様に、セックスをして帰ってきた。
 そろそろこの関係に、限界を感じつつあった。
 以前から、健人の事は好ましく思っていた。弟の様な可愛い存在であった。
 しかし、彼の勤勉さや真面目さ、寡黙さは武にはない魅力であり、スミカは徐々に健人に惹かれつつある事を自ら認識していた。お土産に、健人が好きこのんで食べるクッキーを選んだのはそのせいだ。