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7:爆発

 スミカの部屋のドアが二度、ノックされた。
 コツコツという木材の軽い音が響いた。
「どうぞ?」
 ドアから顔を出したのは健人だった。深刻な顔をしているのがスミカには見て取れた。
「今、話いい?」
 机に向かってインターネット検索をしていたスミカは、思いつめたような顔をした健人を見て、ラップトップをパタンと閉めて「どうぞ」と一脚の椅子を差し出した。
 個室に入ってくるなんて、滅多にない事だ。
 背もたれの高い椅子に腰かけたスミカはキャスターをくるりと回して健人の方を向いた。
 健人は俯いたまま、何も話さない。
 二人きりの空間で、話す事と言ったら、階下の二人の事だろう。そう、想像はついた。
 やっとの事で重い口を開いた健人からは意外な言葉が聞こえた。
「俺さ、葉子の事が好きなんだよ」
 スミカはその大きな目をぱちくりして、現実を受け入れるのに必死だった。
 健人が、葉子に惚れている、だって?
 私が惚れている健人が、葉子に惚れている?そんな事があっていいの?
 これまで恋愛で不自由したことが無かった。外見はまるで人形のようだと言われるし、性格だって一見、捻じ曲がっている訳ではない。好きな男は吸いつくように寄ってきた。
 ここにきて、平凡すぎる女、葉子に負ける――。
 スミカの心の中に渦を巻くように急激に成長してきた感情は、嫉妬だった。
 どうにかして彼の心を、葉子から、遠ざけなければ。必死に頭を動かした。
「葉子は――葉子は晴人の事が好きみたいだよ、残念だけど」
 確信はなかった。ただの推測だった。いや、推測にも満たなかった。
 ただ単に、彼らが仲良くしている場面に遭遇して、そう口から出まかせを言ってしまったのだ。
 俯いていた健人は、「やっぱりそうか」とぽつりと言った。
 拳を握りしめ、その手は震えている。
「いつもそうなんだ、俺の欲しい物は全部、兄ちゃんが持って行くんだ」
 そこには、日頃穏やかな健人の姿はなく、スミカは狼狽えた。慰めようと近づいたその時、タイミング悪くスミカの部屋のドアがノックされた。
「おい、健人、こっちにいんのか?帽子貸してくんない?」
 握りしめた拳をそのままに健人は立ち上がり、ドアへと向かった。
「健人!」とスミカが呼ぶ声はきっと、彼には届いていなかったのだろう。
 ドアを開けた瞬間ゴツッという骨と骨がぶつかり合うような音がした。
「何すんだよ、テメェ!」
 ドアの外には頬を押さえた晴人が尻餅をついていた。痛さに顔を歪めている。
「兄ちゃんはいつもいつも、俺の欲しい物ばっかり持って行きやがる」
 行動とは裏腹に、酷く冷静な声でそう言い、自室のドアを仰々しい音を立てて閉めた。誰も近づくな、そう言わんばかりに。
 すぐにスミカはティッシュを持って晴人に近づき、口角を拭くように言った。
 幸い、葉子は外出中で家にはいない。この事はばれないだろう。
「何なんだ、健人は。スミカと何の話してたの?」
 顔を顰めながら晴人はスミカに訊ねた。
 暫く思案していたスミカだが、腹を括ってそのまま話した。
「健人は葉子の事が好きなんだって。でも葉子は晴人の事が好きなんじゃないかって、私が言ったの。そしたら、こんな感じ」
 その場にしゃがみ込んでいた晴人は、眉根を寄せてスミカを見た。
「そうやって推測ばっかりで物事を言うの、やめろよ。何で葉子が俺の事好きなんだよ。本人がそう言ったのかよ?」
 その質問には答えず、スミカは無言で隣の部屋を指差し、「行ってやって」と言った。
 痛みに顔を顰めていた晴人だったが、痛かったのは殴られた頬ではない。殴った後に健人が見せた、悲しいような、辛いような、怒っているような、複雑な表情に胸をかきむしられる痛さだった。


「健人、入ってもいいか?」
 返事はないだろうと思い、暫く経ってからもう一度ノックし、ゆっくりドアを開けた。
 健人はベッドに横たわって中空を見つめていた。
「何だよ」
「話しに来たんだよ」
 近くにあったパソコンデスクの椅子を引き寄せ、晴人はそこに座った。
「葉子の事、好きなのか」
 健人は返事をしなかった。
「葉子は俺の事が好きだなんて、一言も俺に言ってない。それに、俺は付き合ってる彼女がいる。それは葉子も知ってる筈だ」
 健人は晴人の話を聞きながら、背を向けるように寝返りを打った。
「それでも俺は、葉子と兄ちゃんが、後から来た兄ちゃんが、顔を付き合わせて喋ったり、一緒にライブ行ったり、小競り合いしたり、そういうのを見ると、辛いんだ。俺はそこに入り込めないんだ」
 晴人は項垂れて健人の話を聞いた。
 一緒に話をして盛り上がる、一緒にライブに行く。
 自分にとっては当たり前の出来事でも、傍から観ている健人にとっては辛い事だったのかと、今更知り、軽はずみな行動に少し後悔をした。スミカの時と、同じだ。
「葉子に、好きって伝えろよ。このまま燻っててもしょうがないだろ。応援するから」
 枕に突っ伏した健人の声はくぐもって「うん」と答えた。
 晴人は「この帽子、借りるぞ」と言って壁に掛けてあった中折れ帽を手に取り、部屋を出た。