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 俺が彼女に告白した場所は、赤いタイルが印象的な、吉祥寺にある洒落たカフェの席だった。

 大学時代のサークルメンバーと行った旅行先の海で、何となく拾ってきた貝殻があった。それをネックレスのヘッドに加工する手伝いをして貰ったのが、曽根山こう、二十三歳。俺と同じ歳で、俺と同じく芸術で飯を食っていこうとしていて、俺と同じく常時、怠そうな喋り方と態度をしている。
 だけどこの怠そうな彼女は、極度のツンデレらしい事が徐々に分かってきて、俺の胸の中はぞわぞわと小さな虫が這い回り始めた。どうやら俺は、ツンとデレと気怠さのトライアングルギャップに酷く惹かれてしまったらしいのだ。
 俺がかつて恋した女は、俺がかつて恋した男の元へ嫁ぐ事が決まっていた。嫁の首元を飾るために作っていたヘッドだったが、俺は途中で進路を変更した。曽根ちゃんから借りたネックレスのチェーンに、完成したヘッドを下げ、曽根ちゃんの首に掛けてやった。
 そして「俺の彼女になって」と、それはそれは上から目線で告白をした。断られる事を覚悟していたから、開き直っていたのかもしれない。当然だ、出会ってまだ間も無かったし、学生に間違えられるような容姿で、どう見てもちゃらんぽらんな俺が、受け入れられるはずが無い。断られたとしても、ヘッドが完成したらもう、彼女と会う事はなくなるのだ、振られたって何だって、旅の恥はかき捨てだ。
 それがどうした事か嬉しい誤算で、局地的にそこの重力だけが高まったかのように彼女は首を縦に振ったのだ。目を疑うとは、この事か。
 ネックレスのヘッドはどうしたらいいのかとそわそわし始めた曽根ちゃんに俺は「あげる」と言うと、それまで見せた事の無い笑顔で、キラキラ笑ったのだ。ツンデレの真骨頂を見た。
 終始怠そうなあの曽根ちゃんの本気を見た、そんな感じだ。この笑顔を、俺にだけ見せて欲しい。そんな事を思った俺は、贅沢なのだろうか。

 俺がかつて恋した男と女の結婚式は、クリスマスイブに執り行われた。
 俺と曽根ちゃん二人で迎える初めてのクリスマスイブは、鼻をへし折られる事になった。だが曽根ちゃんはオルガン奏者として結婚式にサプライズ参加し、俺は花嫁とバージンロードをサプライズで歩いた。花嫁の父親は、当時中学生だった花嫁を数回レイプし、行方をくらましたらしい。
 まあいい。俺の初めての「彼女」、二十三歳にして初めてできた彼女と俺はイブの夜、式場からそのまま俺の家に向かった。久々に着たスーツは堅苦しくて、早く解放されたかった。

「この通り、散らかってんだよね。曽根ちゃんの部屋も、これぐらい汚いだろ」
 曽根ちゃんは眉を顰め「ここまでじゃないし」と言って紙類の間に座る場所を見つけると、その辺に放ってあった座布団を引きずってきてぺたりと座り込んだ。俺の家にはテーブルが無い。彼女を家に招いても、お茶するスペースがない。今やっている仕事の報酬が入ったら、とりあえずテーブルを買う事にしようかと、ぼんやり考えながら、エアコンのスイッチを入れる。
 部屋をぐるりと見回しながら彼女は口を開く。
「ねえ、塁はフランスで、何やってきたの」
 俺のコピーみたいな喋り方をするから、部屋の中はそれ自体が無機物質のようになる。エアコンの効きが悪くなりそうだ。俺は今日の新郎だった智樹がいつかして見せたみたいに、片手でキュッキュッとネクタイを緩めてみたが、何だか格好がつかない上に結び目が固まり、一人苦笑する。
 フランスで何をしてきたか。ネクタイを解きながら思いつくままに話す。
「とりあえず目についた画廊とか、絵画教室に絵を見せて、気に入ってくれた先生の下について絵の勉強しながら、仕事も手伝ってって感じだったかな。一時期は掛け持ちしたり。意外と俺、やる時はやるもんでね」
 俺の言葉に、ふーん、と気の無い返事が戻ってくる。聞きたいのか、聞きたくないのか、謎だ。
 ストッキングを履いた人工的な肌色の足元が、とても寒そうに見えて、俺は押入れに立った。中から毛布を取り出すと「あんまり綺麗じゃないけど」と言って膝から足の辺りにかけてやる。度が過ぎる程露骨に顔を赤らめるので、どう突っ込んでいいのか迷う所だ。
「その、今の師匠は、塁のどこを気に入ったの」
 毛布を少し引っ張り上げて腰の辺りまで覆っている。寒いのだろう。俺はリモコンに手を伸ばすと、暖房の設定を二度上げ、その足で画板を取りに行った。エアコンが本気を出した音を聞きながら、部屋の隅においた画板を手に持つ。布袋が誇りにまみれてしまっていたけど、取り出した中身に変化はない。
「これ。『警戒』って師匠が名前つけてくれた。見覚えあんでしょ、この顔」
「......花嫁?」
 最後はぱたんと小首を傾る。
「正解」
 男性恐怖症真っ只中にあった矢部君枝が、男性を警戒した時に見せていた、無機質でありながらも深みを持っている瞳。何色とも言い表せないカオスを感じさせるその瞳に、俺は引き寄せられ、知りたい、描きたいと思った。これを描くのにどれだけ苦労させられたか。何枚のスケッチブックを、何本の鉛筆を、消しゴムを、無駄にした事か。それぐらい、書きたかったのだ。
「なーんか、絵一枚で気に入られるとか、凄すぎて現実感が無いな。最近は何の仕事してんの」
 俺の苦労話なんて彼女にとってはどうでもいい事なのだと理解し、頭を切り替える。この女の頭には「自分時間」が流れているらしい。これまで俺が相手にしてきた人々がどれだけまともな人間だったのか、今となっては手に取るように分かる。
「写真のデフォルメとか、単なるイラスト、ポップの依頼もあれば、色々だよ。デッサンもある。まあ、2Dの世界。曽根ちゃんは3Dだもんね」
 曽根ちゃんは「うん」と頷き、胸元のネックレスを握った。
「それ、気に入った?」
 今度はボブにした髪から覗く耳の先を真っ赤にして、無言で頷く。自分時間から時々抜け出し、デレる。
「そいつは良かった。俺が女に初めてあげたアクセサリーだからな。大事にしないと呪い殺すぞ」
 曽根ちゃんはうつむいたまま口角をあげ「まじで嬉しい」と一言、言った。俺は口をぽかーんと開けたまま、しばらく曽根ちゃんの俯いた頭頂部を見つめていた。
 明るめの茶色い髪と、短い前髪。明るい眉。俺の髪は生まれつき栗色なのだけど、彼女は染めているのだろう。日頃、物憂げに見える瞳は、照れると急激に丸さを増し、同時に顔を赤く染める。「そんな事無いモン!」言葉にするとこんな感じだ。基本、ツンデレの癖に「まじで嬉しい」とかいう殺人的デレが発動すると、俺の計算が狂う。
 座っていたOAチェアから飛び降りて、曽根ちゃんの目の前に滑り込むようにして正座した。そこにあったフランス語の書類が、音を立ててひしゃげる。
「曽根ちゃんは今日、泊まってったりしないよな? お家に帰るよな?」
 彼女は真顔で当たり前のように「うん」と即答する。その様子は「今日朝ごはん食べたよな」という質問に対する「うん」と大差なかった。落胆するヒマも無い。続け様に質問する。
「なあ、曽根ちゃんは今までどれぐらいの男と付き合ってきたんだ?」
 曽根ちゃんはおぼろげな視線で中空を見つめ、そこから吐き出された数字を聞いて俺は正気を保つのに必死になる。
「十五人」
 ちょっと待てー! 思わず頭を抱える。十五人ってちょっとしたクラスの半分の人数だろ? 二十三年生きてきて十五人と付き合ってるってどんなペースだよ。おれは物凄い情報処理速度で頭の中を動かしたのだが、結局どう足掻いても、彼女が付き合ってきた「十五人」という人数に変化はもたらされないし、俺が不吉な数字「六」がつく十六人目である事は、曽根ちゃんの話が真実ならば、それをも受け入れて付き合っていかなければならないのだ。大好きな映画「オーメン」は今後一切観ない事にする。
「そうか、俺は曽根ちゃんが一人目だ」
 頭を抱え俯いていた顔を起こすと、死んだ魚みたいな目をした曽根ちゃんが「花嫁は」と抑揚なく質問する。
「矢部君か。矢部君とは付き合ってない。お互い好きだったけど、そう言う関係にはなってない。俺はその婿の事も好きだったしな。今流行りのBLだな」
 ドン引きを覚悟でサラリと言ったが、曽根ちゃんは「ふうん」と言って何も映らない瞳をぼんやりどこかに向けた。
 不意に、携帯電話のけたたましい呼び出し音が鳴ったのは、曽根ちゃんの鞄の中からだった。設定音がデカ過ぎる。何が入っているのかは知らないが、ガチャガチャと黒い鞄の中から引っ張り出した携帯を耳に当てる。今迄気にしたことがなかったが、携帯には木彫りのスケートボードのストラップがぶら下がっていた。
「はい、うん、今? 彼氏の家。うんいいけど。分かった。それじゃ」
 曽根ちゃんは電話を切ると、彼女に似つかわしくない、無理やりに作ったような笑顔で「行かなきゃ」と言う。
「どこに?」
「家に帰る。また明日、メールか電話するから」
 そう言うと毛布を横にのけて立ち上がり、玄関に向かって歩いて行った。
「駅まで帰り道、分かる?」
 俺が後を追うと、踵の高い靴を履きながらコクリと頷く。玄関を開けてやった。刺すような冷たい風が吹いて、彼女の髪を揺らす。
「寒くない?」
「平気。あんがと」
 それだけ言うと、バイバイも言わずに視線を何処か遠い次元に飛ばしたまま、マンションの廊下を歩いて行き、階段を曲がって姿を消した。
 俺以上に変わった女だ。しかし吸引力はイギリス製の有名掃除機並みで、俺は会う度に彼女に対する興味や関心が積み上がって行くのを肌で感じている。