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 旅行の前日、就寝前に私は部屋の至る所を調べておいた。
 キッチンの食器はいつも通りの場所にあるか。
 洗面所のごみ箱は空になっているか。
 寝室は匂いがしないか。
 何故かってそれは、昭二が女を連れ込む可能性が無きにしも非ずだからだ。

 旅行から帰宅して、こんなにバカな人と結婚したのかと、自分責めずにはいられなかった。
 寝室の匂いが、いつもと全然違うのだ。換気位すべきだったのに。シャンプーなどとは違う、何か香水の様な、人工的な強い香りが鼻を突いた。
 私がいつも寝ているこのベッドで......そう考えると、軽く吐き気を催した。
 食器棚の食器は、何かを探したような形跡があった。少しずつ、色々な物が手前に出されていた。何か飲むか食べるか、したのだろう。と思ったら、カウンターにワインのコルクが置いてあった。
 我が家のワイングラスは、食器棚の一番奥にあるのだ。普段昭二はワインなんて呑まない。記念日か、客が来た時ぐらいだ。
 昨日はバレンタインデー。丁度いい日取りだったわけだ。
 旅行から帰ってすぐにこれらに気づき、気を張っていたのに、次から次へと現実を受け入れようとするとだんだん涙が出てきた。一度でも愛した男に、裏切られたわけだから仕方がない。
 女物の香水の匂いがするベッドシーツやカバーを全て乱暴に剥ぎ取り、洗濯機に入れた。
 新しいカバーをセットし、部屋中に消臭スプレーを吹きまくった。
 今日は少し雨が降っていたが、気にせず洗濯機を回した。一秒でも早く、この匂いから解放されたかった。
 食器洗浄機を開けると、ワイングラスとお皿が数枚、残されていた。目眩がして、カウンターに両腕をつく。
 やるならもう少し賢い方法でやればいいのに。
 こんなやり方では、わざわざ私に見せつけているようにしか思えない。

 浴室にシーツ類をまとめて干し、乾燥ボタンを押した頃、昭二が家に帰ってきた。
 今日は土曜出勤だった様子だ。まぁ、それも本当なのか、分からなくなってくる。
「おぉ、旅行はどうだった?」
「楽しかったよ。そっちは? ワインは美味しかった?」
 ちらっと昭二の顔を見ると、彼は全身を硬直させている。バカみたい。
「昨日同僚が遊びに来たんだよ。それでワインをさ」
 言いながら私の横を通り抜けて行った。私は洗面所でたっぷりの石鹸を使って手を洗いながら大きな声で言った。
「同僚さん、寝て帰ったんだね。香水の匂いが取れないからシーツ洗ったから」
 きっとまた彼は硬直していたのだろう。もう知った事ではない。
 なるべく昭二の方を見ないようにして、夕食の支度を始めた。
 視界に入る彼は落ち着きなく、いつも通りパソコンの前に座っても、脚を何度も組み替えたり、髪を掻いたり、顔を叩いたりしていた。
 あの状況で、バレないと思っている方がおかしい。男とは何と言うバカな生き物だ。

 その晩はお互い一切口をきかずに食事をした。私は私のタイミングで風呂を沸かし、勝手に入り、出た。昭二には何も言わなかった。
 夜、寝る前に真吾に『黒でした』とメールをした。
 数秒で『万が一、キター』と返信が返ってきた。
 この人は少し頭のねじを締め直す必要があるけれど、バカではない事は知っている。

 睡眠薬を飲んだのに、なかなか眠りにつけなかった。
 心にダメージを負うと、薬もなかなか効いてくれない物なのだと知った。
 何故か浮かんでくるのは、真吾の奥さんの顔で、それは何故かと考えると、真吾の家で入った布団から香水の様な香りがしたからだった。
 真吾の奥さんも浮気をしていたと言った。男ばかりがバカな訳じゃない。相手をする女だって十分バカだ。そして浮気をされる私だって。
 スマートフォンに目を遣ると、布団に入ってから一時間は経過していた。
 リビングから昭二の声が漏れ聞こえてきた。もう少しよく聞こえるように、静かに寝室のドアを開けた。
「そうか、嬉しいよ。うん。昨日酒呑んじゃったけど、問題ないよな。うん。分かった。俺の子供かぁ」
 背筋が凍る言葉だった。「俺の子供」
 浮気をしているだけではない、子供まで孕ませているのか......。
 私はドアを静かに閉め、ベッドに倒れ込んだ。
 この後彼は、私にどう言うつもりだろうか。いつまで黙っているのだろう。
 盗み聞いてしまった背徳感と、自分には出来なかった子供が、浮気相手とは出来た事に対する屈辱感で、私の両手は震えていた。
 真吾、真吾、助けて......。