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15.
 今日は先に総司が風呂の椅子に座った。私は風呂に持ち込むタオルで包丁を巻いて持ってきた。それを総司の背中側に置いた。
「じゃぁ髪洗うね」
 シャンプーを手に取り、丁寧に泡立て、彼の髪を洗う。
 ハリのある髪が指の隙間に入り込む。彼の感触をこの手に覚え込ませる。
 シャワーで流し、彼は顔に掛かったお湯を手のひらでパッと払った。
 鏡越しに見えた総司は、恐ろしく綺麗だった。

 ボディソープを手に取る代わりに、タイル張りの床に置いた包丁をタオルの中から出し、手にした。
「私もすぐ行くから」
 耳元でそう囁き、彼の喉へ刃を滑らせた。
 鏡越しに見える彼の目は見開かれ、ぱっくりと切り裂かれ血の滲み出る喉から「何で」と声にならない息が吐き出された。
「私以外の女が総司にまとわりつくのを見てるのは、苦しいの」
 頸動脈の辺りに刃をあて、手前に引くと、驚くほどの勢いで赤い液体が噴出する。
「総司と二人きりの世界で生きていきたいの。私、森崎さんに死んでって言われたんだから。死ぬなら総司と二人で死にたいの」
 鏡越しの彼はずっと目を見開いたまま、時折飛んでくる赤い飛沫に顔を染めている。彼は自分の身体を支えきれなくなり、私の方へ背中を向けて倒れ込んできた。椅子が、ひっくり返る。
 私の膝を枕に、彼は力を振り絞って私に手を伸ばしてきた。その手を両手で握る。まだ温もりのあるその手を頬に当てると、涙が溢れ出てきた。
 血飛沫だらけの彼の顔に、私の涙が次々に落ちる。よく見ると彼の目からも涙が出ていて、私の涙と一緒になってタイルへ落ちていく。
「すぐ行くから」
 握った手を頬に寄せたまま、暫く目を瞑る。噴出する音が徐々に小さくなる。もう、彼に意識はない。血で染まった彼の唇に、上下逆さまに、深いキスをした。
 それからシャワーで彼の身体を綺麗に洗い流した。なかなか出血が収まらない。目蓋を閉じ、口を閉た。頭から肩、腰、性器、太腿、脚。順番に撫でて行く。彼の身体を、こうして自分に刻み付ける。
 私は自分の身体をシャワーで流した。鏡を見ると、彼の血飛沫がかなり飛んでいたことが分かった。暖かな血液は、顔に飛んできても気付かなかった。これが彼の温もりだったのだと知る。

 自分に掛かった総司の血液を全て洗い流し、裸のまま土間に入った。土間の気温は外の気温と大差なく、長くいるとそのまま死んでしまうのではないかという位だった。そこから大きなビニール袋と台車を風呂場まで運んだ。
 ビニール袋を持って風呂場に再び入り、彼の大きな体を包んだ。硬直していない彼の身体はだらりとして動かし難く、足先から折りたたむ様にして、ビニール袋に押し込んだ。
 七十キロぐらいあった彼の身体を、何とか台車に乗せる事が出来た。あと一息。ビニール越しに彼の裸体が見える。シャワーの温かさの為か彼にまだ体温が残されているのか、ビニールの中が結露する。
 土間まで来ると、横型の大きな冷凍庫の扉を開いた。白く儚い冷気が、外気に溶けて、消えて行く。
 冷凍庫の壁面を使いながら、総司の身体を持ち上げていき、何とか冷凍庫の中に入れた。ドスっと音がした。
 ここで一度お別れだと思うと、また涙が零れてきた。実体のある総司とはお別れ。ビニール越しに、彼の髪を撫でる。頬を撫でる。膝を撫でる。こんな形だった。こんな温もりだった。全てを覚えておこうと、記憶しておこうと、触れる事が出来る場所は全て触った。何度でも。
「後で行くね」
 冷凍庫の中に闇を作った。暫く彼はここから出る事はないだろう。良いのだ、私が後から行くのだから。
 私は風呂場にもう一度戻り、壁に飛び散った血液を全て洗い流した。生臭い匂いも、彼を形作っていた物だと思うと、そう悪くはない。包丁も綺麗に流し、全ての物を、あった場所に戻した。
 私は用意してあったパジャマに着替え、ダウンジャケットを羽織った。
「じゃぁ、行くか。総司の所に」
 誰もいない部屋で、私は口に出して言った。
 二十一時を回った所だった。玄関のカギを内側から閉めた。足元にあった一足のスニーカーを手に持ち、茶の間のファンヒーターを止めた。
 キッチンが綺麗に片付いている事を確認し、土間へ向かった。
 冷凍庫のドアに、一度だけ口づけをした。ひんやりとした感覚が、唇を痺れさせる。