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7.
 すぐに陽が陰ってしまう。太陽が照り始めるとすぐに洗濯物を干し始める。隣の家からは断続的に赤ん坊の泣き声が聞こえる。いつの間にか、産まれていたようだ。
 暫くあの女は外には出てこないだろうと油断していたが、ガラガラと掃出し窓が開く音がした。
「こんにちは」
「こんにちは。あの、赤ちゃん、おめでとうございます」
 幾分ほっそりした様に見える彼女は、やつれた顔を引き攣らせて笑った。
「めでたくなんてないっつーの。朝晩問わず泣かれて、母乳は飲まないし。嫌になる」
 庭に転がっていた棒切れをサンダルをつっかけた足で蹴とばした。棒は雑草だらけの庭先に音を鳴らして転がった。
「今、赤ちゃんは?」
「あぁ、お義母さんがミルク飲ませてる。どっちが母か分かんないよ、全く」
 怒りの矛先を何処へ向ければ良いのか分からないといった感じだった。とは言え、こちらに向けられて困る。私はさっさと洗濯物を干してしまおうと手を動かした。
 彼女は縁台に腰掛けた。居座るつもりか。
「総司とは、セックスしてるの?」
 不仕付けな質問に腹が立った。そんな事、知り合って数カ月の人間に話すか、普通。
「夫婦ですから」
 ふーん、と意味ありげに声に出して言い、辺りを見回している。この人がいると家事に集中できない。早く家に帰って欲しい。
「子供は?」
「流産しました」
 一瞬彼女は動きを止めたが「あらそう」と言って地面から浮いた脚を揺らしている。
「健の子供だからかな、全然可愛くないの」
 赤ん坊なんてそんな物だろうと思うが、あえて口には出さなかった。会話を拒絶したくなる要素が、彼女にはあるのだ。
「総司との子供なら、きっと可愛い子供が生まれるんだろうな」
 それは陽子と総司の間に生まれてくるという仮定の話であって、非常に胸糞の悪い事だった。私は最後の一枚のタオルを干し終えると「それじゃ」と言って勝手口から家に入ろうとした。
「あのね」
 陽子が声を張るのが聞こえ、私は足を止めた。
「私、総司とヤッた事、あんの」
 私は勝手口のドアを、聞えよがしにバタンを閉め、部屋に入った。
 だから何なんだ。だから何なんだ。総司は私の夫だ。今、彼とセックスできるのは、私しかいない。あの女は、何なんだ。


 義母と二人で食事をしていた。彼女は食事に関して好き嫌いも言わないし、味付けに文句も言わない。私の料理の腕が決して良い訳ではないのに、何も言わずに残さず食べてくれる。
「お義母さん、嫌いな食べ物はないんですか?」
 里芋と鶏肉の煮物をに箸を伸ばしながら訊いた。
「ない。何でも食べられるよ。肉も魚も野菜も。昔からそうかな。エリカちゃんは?」
 出汁の染みた里芋をもぐもぐしながら「私もです」と答えると、義母はにっこりと微笑む。
「総司が健康でいられるのもエリカちゃんのお陰だね。エリカちゃんがお嫁さんに来てくれて、本当に感謝してるんだから」
 私は顔を傾げて「ありがとうございます」と消え入るような声で礼を言った。
 総司が好き嫌いなく何でも食べるのは、義母がそういう人だからなのかと納得がいった。

「畑はどう?やっていけそう?」
「お義父さんの本を見ながら、手さぐりですけど、やってます。この里芋も畑のです」
 箸で里芋を刺した義母は、「どうりで、美味しい訳だ」と言って口に放り込んだ。
 私はコンロの前に行き、煮物の皿に里芋と鶏肉を足した。
 亡くなった義父の仕事に義母は関わる事は出来ないけれど、畑に実る野菜を通じてなら、義父と義母は繋がっていられるのだ。私はそれを守って行こうと思った。
「あら、また泣いてる」
 気温が下がった部屋の窓は閉め切っているが、それでもどこからか漏れ聞こえてくる赤ん坊の泣き声に義母が反応した。
「健君も陽子ちゃんも親になったんだねぇ」
 しみじみ言う義母の言葉に耳を傾けながら、私は無言で席につき、味噌汁を口に運んだ。
「そうそう、明日は私、夕ご飯いらないから。友達とね、呑みに行く約束しちゃったの」
 目をランランと輝かせ義母がそう言うので、分かりました、と答えた。なかなか社交的な義母は、時々こうして夕飯を外で済ます事がある。
 気を遣っているつもりはないが、それでも義母と二人の食卓というのはなかなか張りつめる物があり、彼女が留守にするとなると私は少しほっとする。