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「トルチルコミュニティ」を知ったのはつい最近だ。
 インターネットでトルチルについて調べていて辿り着いたそのSNSへの登録は、トルチルの人間限定で、トルチルとしての寿命を公開して、匿名で語り合う場だった。
 国から支払われる金額が高いうちの最高寿命は五十歳だった。私はその五十歳に設定されたトルチルだ。両親は存命していて、父母ともに四十代に突入している。私は、彼らが私をトルチルにした事を恨んではいない。
 父がアルコール依存症でギャンブルにはまり荒れ狂った生活をしている中で、私が母のお腹に着床した。借金も沢山あったらしい。それを清算し、アルコール依存から抜け出す治療をするのに全てのお金がつぎ込まれた。その甲斐あって、私の両親は現在、仲睦まじく生活している。
 まぁ、本来なら私に入る筈だったお金がほとんど残っていない事に、納得はいかないのだが。

 トルチルである事で、私は恋に臆病になっている。それはそうだ、二十五歳の今、恋愛をして、いざ結婚する時に「私、五十歳で死ぬんです」なんて言ったら、相手は逃げて行くに決まっているのだ。お互いがトルチルだって分かっていて恋愛ができれば良いのに、と思って辿り着いたのが、トルチルコミュニティだったのだ。
 全国のコミュニティ会員から、都道府県、年齢、性別などで人物を絞り込んで行く。その中で気が合いそうな人を見つけ、メッセージを送ったり、WEB上のサークルで会話をしたりする訳だ。一般的なSNSと何ら違いはない。ただ、登録している人に年齢だけではなく「寿命」がある事が違いだ。
 神奈川県 横浜市 男性 二十代 寿命五十歳。
 検索中の丸い矢印がモニタ上でぐるぐる周り、結果が表示される。あまりに少ない検索結果に愕然とする。それでも、その中から気が合いそうな人を探してみる。
 ヤマコーさん。趣味が野球かぁ。サッカーよりはいいか。ルールも知ってるし。甘い物が好き、へぇ、男の人にしては珍しい。同じ寿命の人、仲良くなりましょう、か。何の変哲もないその文章の下にある「メッセージを送る」をクリックし、自己紹介と「お友達になりましょう」のひと言を添えた。

******

22年後

「トルチルコミュニティも、随分会員数が増えたんだな」
 康平はパソコンのモニタを見ながら言う。私と山口康平はトルチルコミュニティで知り合い、結婚したけれど、その後はコミュニティを見る必要性もなく、ほとんどアクセスしていなかった。
「へぇ、じゃぁトルチルが増えてるって事だね。良いんだか悪いんだか」
 私は食器を拭きながら康平の背に声を掛けると彼は「良いんだか悪いんだか」と私の言葉を繰り返した。
「ただいま」
 リビングにちらりと顔をだした高校生の娘は、短いスカートを揺らしながらそのまま自室に向かって行ってしまった。反抗期真っ盛りで、特に康平とは口もきかない。もう康平は、トルチルとしての寿命をいつ終えても良い、プラマイ期間と呼ばれる誕生日から前後半年に入っているのに、娘は頑な態度を崩さない。
「こちとら明日をも知れない命なのにな、何なんだあいつは」
 康平は一人ごちた。思わず吹き出してしまう。私もそうだった、父親に対する意味のない反抗心。あれは何だったんだろうか。
 壁に貼ってあるメモに目をやる。
 棺に入れて欲しい物:結婚指輪、野球のボール、懐中電灯
 燃えない物は無理なんじゃないかと言ったら「トルチルの特例で認められてるんだとさ」と康平は笑みを浮かべたのだった。
 懐中電灯は、三年後に追いかけて行く私を、暗闇の中でも探し出せるように、だそうだ。
 徐々に身辺整理を始めている。いつ逝っても良いように、いらない物は捨てている。パソコンの中身もそうだ、いらないファイルを捨てている。病気で予後を告知されている患者に、よく似ている。もうそろそろ死ぬから、と言って少しずつ準備をする。家族は、いつ逝ってもおかしくない、と心の準備ができる。トルチルも悪い事ばかりではないのだ。
「五十の誕生日まで、もつといいけど」
 私がそう言うと、康平も「そうだな、あと二日か」としんみりしながら壁に貼られたカレンダーを見遣った。
 あと二日。その二日間でも彼が突然逝ってしまう可能性は大いにあり得るのだ。
 ばたん、とドアがしまる音がして、リビングに娘のれいなが入ってきた。
「お母さん、洗濯物はあの人と別にしてって言ってるじゃん。何で同じカゴに入ってんの」
 私は苦笑しながら「ごめんごめん、あとで分けとくから」と諌めると、肩を怒らせて部屋に戻って行った。あの人、とは随分な言い草だ。康平の方を見ると、康平も私を見て、苦笑している。
「しょうがないよ、この頃の娘はみんなこんな感じなんだろ。ママもそうだったんだろ」
 私はおぼろげな視線をどことなくほっつかせて「さーてどうだったかな」と誤摩化した。
 弟の良平は宿題を終えたからか、リビングに入ってきてゲーム機を出し始めた。
「宿題は?」
「終わった」
 こちらはもともと無口なタイプで、反抗期と呼べる物なのか分からない。娘と比べると、喋らない分、何を考えているのかが分かりにくい。学校の成績は飛び抜けて良いのだが、友達という友達もいないようだし、色々と心配は尽きない。父親がいつ逝くかも分からない事については、どう思っているのだろうか。勿論、母親も三年後、そういう時が来るのだが。
 私と康平は三歳違いだ。トルチルコミュニティで出会い結婚し、子供を二人もうけた。子供をトルチルにはしなかった。何故二人産んだのかと言うと、私も康平もいなくなってしまった時に、一人にならないようにするためだった。姉弟二人なら、何とかやって行けるだろう、と考えての事。れいなと良平ではうまくかみ合うのかどうか不安だが、三年後には否が応でも二人になってしまう訳で。一応、康平の両親に、二人の事をみてやってくれとは頼んである。子供だけの二人暮らしは、トルムの制度ができてからそんなに珍しい光景ではなくなったにしろ、やはり親としては不安なのだ。

「明日で五十歳だな、俺」
 ベッドに横になり、康平は私の手を握った。暖かく大きな手は、出会った頃と何ら遜色がない。
「無事に迎えられそうだね。明日はケーキ買って来なくっちゃ」
「でもあいつら、食うかな」
 私は首を傾げ、それから彼の方に視線をうつし「どうかな」といい、少し笑った。
「食べなくても、誕生日は大切な区切りだから。ちゃんとやろうよ。今までもやってきたんだし」
 康平は握る手に力を込めて「そうだな」と言う。
 隣の部屋からにぎやかな音楽が漏れ聞こえてくる。れいなの部屋だ。最近気に入っているパンクバンドがあるらしく、夜でも気にせず音量をあげている。下げろ、と注意する声さえ耳に届かない状況だ。
「今日もまた随分とにぎやかだね、れいな」
 私が言うと康平は「あいつなりの何らかの主張だな」と分かったような口をきく。
「ただ好きなだけで聴いてるんだよ、あれは」
「にしても、うるさいな」
 苦笑し、「でも、いつも通りの平穏な日々が過ぎて行くっていうのは、何か幸せだよな」と漏らした。
「何、いきなり」
 彼の方に顔を向けると、彼はまっすぐ天井を向いていた。
「二人の子供が自分の血を引き継いでてさ、健康に毎日を送っていて、すくすく育っててさ、俺達に反抗する力も備わってさ。俺はいつ死んでも良い。本当に幸せだよ」
 思わず目尻にたまってしまった涙を彼に悟られないように、空いている方の手でさっと拭った。
「何言ってんの、明日誕生日やるんでしょ」
「あいつら、俺の誕生日なんて覚えてる筈ないだろ。『あの人』扱いだからな」
 カラカラと笑い、それから目を閉じた。すぐに規則的な寝息が聞こえ、それがいびきに変わるまでにそう時間はかからなかった。れいなの音漏れもうるさいけれど、康平のいびきの方が強力だ。
 それも「平穏な日々」の象徴であり、私は口元に笑みを浮かべながら眠りに入った。

 翌朝、目覚まし時計のけたたましい音に目を覚ます。いつも通り、目覚まし時計を叩くように止めて、それから隣に眠る康平に声を掛けた。彼は目覚ましでは起きないのに、私の声には反応して起きるのだ。
「康平、時間だよ」
 声を掛けるが、彼は起きない。顔色が、悪い。
「康平?」
 身体を揺すってみると、揺すられた分だけ身体を揺らす。手の甲で触れてみた首元は、氷の様にひんやりしていた。
「康平!」
 意識せずともとんでもない声が出た。何度も何度も叫んだ。彼の首元が冷えている、それが「死」を意味している事は受け入れられるのだが、叫ばずにいられなかった。叫べばこっちに戻ってくるのではないかと思った。
「康平!」
 何度も叫ぶうちに、子供達が気付いて寝室に入ってきた。
「お、とう、さん?」
 良平が言葉を零し、私は涙で濡れた顔で振り向くと、良平はすぐに康平の元にしゃがんだ。後から来たれいなは「おとうさん?!」と素っ頓狂な声を上げて走り寄ってきた。
「お父さん、何で今日なの? 今日誕生日でしょ? 何で今日死んじゃうの?」
 私は娘の顔を見た。涙は次から次へと溢れ出てきて、康平が眠るベッドのシーツに吸い込まれて行く。良平は何も言わず、涙を堪えて震えている。
 いつか死ぬと分かっていた。いつ死んでもおかしくなかった。それでも人の死は、悲しいのだ。れいなと良平は、身をもって体験した。
「お母さん、今日お父さんの誕生日でしょ、どうして今日なの? 明日でもいいじゃん。何で今日なの?」
 だだをこねる幼子のように私の袖を引っ張る娘を、どう慰めたらいいのか、私には分からなかった。
 私もあと三年したら、いつ死ぬか分からない身になるのだ。その時、彼らを再び襲うのは、悲しみと孤独だ。
 私は自分の涙をパジャマの袖で拭うと、今度は娘の涙を拭い、良平の頭を撫でた。
「これからお父さんは救急車で病院に行って、お母さんも付き添うけど、夜にはお父さんの誕生日、やろう。ケーキ買ってくるから」
 二人は示しを合わせたようにこくりと頷き、れいなは走って電話の子機を持って来てくれた。私は救急車を呼び、トルチルである事を伝えた。サイレンは鳴らさないできてくれ、と。
 電話をしている間、娘も息子も、ずっと父親の腕を握って離さなかった。そこだけはきっと、生きている人間の体温が宿っただろう。私も電話を切ると、反対側の腕を握った。生きていた時の体温を少しでも長く、彼の身体に留まらせるために、ずっと握っていた。

 ふたりとも覚えてたよ、康平の誕生日を。50歳のお誕生日、おめでとう。


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