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18

 卒業証書を手に、写真を撮ったり別れを惜しんだりと、昇降口の外は人だかりだった。
 清香は部活の面々とともに後輩と別れの儀式をしていた。カラフルなサインペンで寄せ書きが施されたバレーボールを、涙を流す後輩からプレゼントされる。自分達も過去二年、こうして先輩を見送ってきたと思うと、込み上げるものがある。
 後輩と今後の進路について取り留めもない話をしていると、ポケットに入れた携帯が震えた。見ると、圭司からのメールだった。三件もメールの着信が来ていた事に、それまで気付かなかった。
『裏門に来れる?』
 三通とも同じ文章で送信されている。まだ話が終わらなそうに思える一団の中央にいる富山に「ちょっと出てくるね」と告げる。「どこに?」という富山の声を背中に浴びながら、ボールを持った清香は校舎の裏へと歩いて行く。

 遠くから見た門柱に、背を預けて立っているのは圭司だった。何か違和感を覚える。よく見ると、学ランのボタンがなくなっている。ひとつも、だ。
「へい」
 手を上げたのはボールを寄越せという意味だと読み取り、遠くからボールを放る。放物線を描くボールは圭司の足の側面でキャッチされ、それから天に向けて何度も突き上げられては落ちてくるのを繰り返す。
「何ですか」
 ボールから少し遅れて清香が到着すると、リフティングしながら圭司が裏門を指差す。怪訝気な顔をしながら圭司の横を通り抜け門柱の正面に回り込むと、そこには優斗が立っていた。
 優斗の学ランも散々な事になっている。校章もとられたのだろう、襟に小さな穴が空いている。ただ一つ、春の穏やかな日差しを浴びて光っていたのは、第二ボタンだけだった。
「あれ、優斗は第二ボタン誰にも貰ってもらえなかったの?」
 冷やかす清香に対し、ポケットに手を突っ込んだ優斗は目を伏せたまま「そう、残っちゃったね」と口元だけで笑う。
 清香はわざとらしく声に出して笑い「残念だったね」と茶化すと、優斗がすっと顔を上げる。金色の髪が揺れる。
「つーか、残しといたんだよ。俺の事を優しい、優しいって言う人に、優斗ってホントに優しいねって言ってもらえるように、残しといた」
 清香は時々リズムを崩すリフティングの音を聞きながら一歩、優斗に近づく。
「えぇと、それはもしかして、凄く鈍い女の人の事を言ってますか?」
 顔を上げた優斗はほんのり頬を赤らめて「そうですね」と乱暴に言うとボタンに手をかける。ややあって金色のボタンは、優斗の手の平で転がった。縁が光を捉えた瞬間だけ金色に煌めく。
「鈍感な清香に、これあげる」
 ん、と腕を伸ばされ、清香は手の平を上に向けて広げると、ぽとん、と軽い重力が掛かったボタンが落ちてくる。
「優しい優斗の第二ボタン貰えて、嬉しい」
 これでいいの? と清香が首を傾げて見上げると、優斗は清香の下ろしたロングヘアをくしゃくしゃにして、抱き寄せる。
「ずっと好きだったんだ。清香だけを見てたんだ」
 清香はへらりと笑って優斗の腰に腕を回す。何も言えない。
 半年近くになる。自分の気持ちの素直な部分から目を背けないように、思いを拾い損ねないように、自分を、優斗を見つめてきた。この瞬間にそれが凝縮されている。
「圭司、俺の勝ちだ。俺は清香がピンチの時でもずっとついてやってたからな」
 優斗の身体越しに見える圭司はリフティングを続けながら「ずっとお似合いだと思ってたし、いいんじゃないですか」とまるで他人事のように言う。
「そろそろ離れません?」
 清香は少し身じろいでみるも「いや、離さん」と言って抱きしめる力をより強いものにされる。学ランからは少し、タバコの匂いがする。タバコを吸いながら待っていたのかも知れない。清香は「部活のとこに戻らなきゃだから」と言って優斗を押し返し、金色の髪をくしゃくしゃに仕返す。
「終わったらメールするから」と歩き出し、圭司の足から一瞬離れたボールをかっさらって正門の方向へ小走りに走って行く。

 富山と目が合うと「どこ行ってたの?」と訊かれ、手にしていた第二ボタンを見せる。手の平で暖まったそれは、日陰では鈍色に見える。
「へ、誰のボタン?」
「金髪の」
 口をあんぐり開けた富山の視線は、清香を通り越えて、後ろへ不自然に飛んで行く。きょとんとした清香は振り返ると、さっき突き放したばかりの優斗と圭司が立っていた。ギョッとする。
「はーい、清香先輩の彼氏だよー」
 優斗が手を振っているのを見て、後輩がざわつく。
「清香さん、やっぱりあの人と付き合ってたんですか?」
 後輩の一人が怯えたような顔をするのを見て清香は「付き合ってないよ? 付き合ってないし、あの」と返答に窮する。
「あの、ごめん、もう帰るから! ごめん! 明日の部活には顔出すから」と鞄を拾い上げるとその場を離れ、優斗の腕をむんずと掴むと正門に向かってずんずん歩いた。
「恥ずかしいじゃん、何あれ」
「ちゃんと、清香の返事を聞いてない」
 は? と清香は片方の眉をあげ、「何の?」と足を止めて問う。今度は優斗に手を引かれ、清香は遅れてついて行く。タバコの匂いがどことなく鼻を掠める。

 辿り着いたのは、長居公園だった。圭司は後ろを歩いていたけれど、わざとらしく少しだけ距離をとっていた。公園の入り口のポールに腰掛け、こちらを見るともなしに見ているのが分かる。
 いつか話をしたベンチの前で優斗は清香と対面し、咳払いを一度した。その時点で浅黒い顔でも十分に分かる程に赤面している事が清香には見て取れる。
「清香が大学に行っても俺、休みの日とか空けとくから、だから俺とちゃんと付き合ってください」
 右手がすっと差し出され、思わず清香は吹き出した。
「そんな本格的に言ってくれなくても、もう優斗の気持ちは分かってるから」
 そう言って優斗の金色に輝く髪を、少し背伸びしてくしゃっと触った。
「私の第二ボタンは優斗」

 鞄の脇に置いた清香のバレーボールが、風の力で圭司の足元に転がって行った。「ユウ」と声がかかる。それに応じて、優斗はボタンが空になった学ランをベンチに放る。ポケットから少しだけ顔を覗かせた優斗の緑色の携帯電話には、赤い紐にくるまれた水晶のストラップが結びつけられている。
 二人の間でバレーボールが跳ね、カラフルな文字に彩られた表面がくるくると回る。ボールは地面に触れる事がなく、それでも飽きる事なく蹴り続ける二人の様子を、飽きる事なく清香は眺めていた。

 三月の春風が凪いできて、ボールを揺すり落とすまで、二人のリフティングは続いた。

FIN.(あとがきあり)


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