7 何もいりません



 それから数日、サトルさんからのメールは途絶えた。やり逃げか。いや、やってない。サトルさんのお口に合わなかったのかもな。
 キスをした時点で、女友達の枠からは外れた。女友達になる計画は、失敗してしまった。男女の友情を立証する2例目とはならなかった。

 講義後レイちゃんと、学校に近くにあるドーナツ屋さんに行った。朝からレイちゃんは「どーだったの?」としきり問いただしてきたので、「講義後にお茶しながら話す」と言ったのだ。
 私はチョコレートドーナツとアイスコーヒーを頼み、レイちゃんはココナツが掛かったドーナツとコーラを頼んだ。

 お皿に落ちたココナツを指で集めながらレイちゃんが切り出した。
 「で、どうだったの。一晩一緒にいてどうだったの?」
 「どうも何も、ヤッてないよ。」
 これは本当の事。やってない。ガムシロップを乱暴に注ぎながら続けて言った。
 「ヤッてないけど、別の事はした」
 「何、トランプとか花札とか?」
 するかっ、と短く突っ込んだ。

 「映画を観て、お酒を飲んで、話をして、眠って、抱き合ってキスをした」
 「ヤッてるじゃないの。」
 「ヤッてないよ、一線は超えてないの。一戦交えてないの」
 指についたチョコレートを紙ナフキンで拭いた。茶色いグラデーションになった。
 「誰がうまい事を言えと。それで、お付き合いする事にはなったんですか?」
 意識せずとも顔が曇った。痛いところを突かれた。

 付き合ってるのか?
 付き合ってない。現状、付き合ってないどころか、連絡が来ない。今までは、会った後には携帯に短いメールが着て、その後PCにいつも通りの長いメールが着ていた。今回は、それが無い。

 「付き合ってないよ。でも――」
 自分でも何故だか分からないけれど、涙が溢れてきてしまった。心の中に溢れてる感情が制御できない。閾値を越えた分が涙として溢れてきてしまった。
 「でも、好きに、なっちゃったみたい――」
 まるで、王様を好きになってしまった村人のようだ。

 「どうして泣くのー。好きになる事なんて自由でしょ、泣くなー」
 「――ううっ―」
 返事をするのが精いっぱいだった。嗚咽が止まらない。ただ、好きになっただけなのに。それを友達に話しただけなのに。

 好きになった。抱きしめてくれた。だけど、もう連絡が来なくなった。惨めだ。やり場のなかった自分の正直な気持ちを解放したら、一緒に涙まで出てしまったらしい。
 いつもなら来るはずのメールが、来ない事を話した。「次は最後まで」と、次の約束までとりつけたのに、と。

 「まぁ、待つしかないんじゃない?本当に好きになっちゃったなら自分から連絡するとか」
 口の端についたココナツを、手入れのされた薬指の爪でポロっと落としながらレイちゃんが言った。
 「自分から連絡ができなくて、待つのが辛くなったら、諦めるしかないよ。」
 「でも、手が届かないと思ってた憧れの人に、あんな事されて、只々嬉しくて――」
 「諦められそうにない、かな。」
 レイちゃんの優しい笑顔で私の顔を覗き込む。声が、心にしみる沁みる。

 「他にすっごく好きな人でも出来ない限り、諦められないし、諦めたくないよ。何か、変な欲みたいのが、湧いて来ちゃってるんだよ。」
 他にすっごく好きな人。他に。そう、ユウみたいに。未だにその存在が頭を掠めて離れない、ユウみたいに。

 紙ナフキンで涙を拭いて、「あ、さっきチョコ拭いた紙だった」と呟いて、二人で笑った。私の笑顔はきっと、こわばっていたに違いない。
 「他にすっごく好きな人が出来たときに、考えたらいいよ」

 コーラのグラスはもう、空っぽになっていた。相変わらず、コーラの飲みっぷりが半端ない。私のアイスコーヒーは、ガムシロップとポーションミルクを入れたまま、混ぜもせず手つかずだった。ストローでゆっくり混ぜると、コーヒーがマーブル模様に姿を変える。
 「そうだね。まだユウの事も忘れられない状況だから、何か色んなことがごちゃっと心の中で金だわしみたいに丸まっててさぁ。ほぐさないとね。」
 「分かり難い表現だね、それ。」
 「金だわしの事かい?」
 「そう。」



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