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「しっかし今年の雪はしぶといなー」
 ウタは祖父のゴム長靴を履いて、道のど真ん中を歩き始めた。私も急いで後ろをついていく。滑って転ばないよう、まるで竹馬に乗って歩いているようなおかしなバランスの取り方になり、うまく歩けない。これだから都会の人間は。いつだったか、祖母に言われた事があった。
「もう四月もすぐそこだっつーのにこの雪、いつ溶けるんだろう」
 除雪した雪が腰の辺りまで積み重なっている。道の両端に掘られた用水路には、滝のような轟音をたてながら、山からの雪解け水が下流へ下流へと押し流されている。
「一応溶け始めてはいるんだね、この音じゃ」
 ウタは、ふん、と鼻で笑うようにして私を見た。まるで私が顔を伏せる事を予期しているかのような、少しの余裕を持った笑みだ。もちろん私はすぐに顔を伏せたのだけれど。
「もうちょっとこっち歩け。そっち雪あるから」
 道の端を歩いていた私のコートの袖を引っ張ったウタは「こんな時にブーツとか」と言ってまた笑う。手持ちのブーツの中では地味でシンプルで、ヒールが低い物をセレクトしたつもりだったのだけれど、雪国の景色にはそぐわない物かも知れない。ウタが履いたゴム長を見てそう思う。
 少し道幅の広い道路に出た所で、雲間から日差しが振りそそいてきた。まるで霧でできたカーテンのような光が、建物に反射し、雪に反射する。
「モーゼの十戒みてぇだ」
 ウタの言葉に私は首を傾げて「何それ」と言うと「モーゼの十戒知らないの?」とウタは目を丸くする。
「知ってるよ、そうじゃなくて何で今のこの状況がそれなのかって事」
 ウタはつむじの辺りをぽりぽりと掻きながら「知ってる言葉を言ってみたかっただけです」と顔をひしゃげてみせた。
 母から預かった財布が入ったエコバッグから、携帯の着信音が響く。私はバッグに手を突っ込んで指先に当たったストラップを絡めとると、液晶を見た。夫からだった。
「もしもし?」
 新幹線での参列となると、夫と子供を二人連れてくると交通費だけでもバカにならない。宿泊も、駅前のビジネスホテルを取る事にしたので、節約のためにも今回は家で留守を任せている。
 通話を終えるとウタが「旦那さん?」と私に視線を送る。
「うん。何か下の子が熱を出したとかで。って言われても今すぐ帰れるわけじゃないからさ」
 道のずっと先を見ながらそう言うと、ウタは「ちぃがお母さんやってんのかぁ」としみじみ言う。
「そんな事言ったらウタだって、お父さんやってるでしょ」
 ウタの方に顔を向けると、ウタは両手を合わせて「だよね」とおどけてみせる。
「ちぃは、結婚式は挙げたのか?」
 少し眩しそうに目をしばたかせながら私の顔をじっと、見る。突然の問いにバカみたいに口を開いたまま止まった私の返事を待たずに、更に重ねる。
「ウェディングドレス、着たのか?」
 私はこくりと頷き、やっとの事で紡ぎ出た「何で?」という問いに、ウタは口元を引き締めるようにして笑顔を作って、鼻から息を抜くようにして笑う。
「ちぃは顔が小さくてスタイルがいいから。きっと綺麗だっただろうなって」
 まるで私が赤面する事を予期していたかのように、絶妙なタイミングで私の方を見る。背けた顔の行き場をなくす。
「普通です。誰が見ても平均的な花嫁さんだよ。ウタの奥さんは、綺麗だった?」
 用水路に落としていた視線をすっとウタの方に向けると、ウタは斜め上の方を向いて何かを思い起こすように視線を動かした後、結んでいた口を静かに開いた。
「綺麗だったよ。小さい頃から一緒にいたのに、こんなに綺麗だった事に気付かなかったのかって、びっくりした」
 のろけちゃって、そう一言返せばそれで良かった。しかしその一言が口から漏れ出す事はなかった。ウタは当たり前の事を言ったまでで、幼い頃から一緒に過ごした幼馴染みが、いつもと違う、真っ白いサテンやパールに彩られたきらびやかな衣装を身にまとったら、それはそれは綺麗だっただろう。そんな事は分かっている。
 そんな事は分かっているけれど、そんな事は聞きたくなかった。できれば今すぐに、自分の結婚式の写真をウタの目の前に持って来て「幼い頃からあなたを慕っていた千里の、一生に一度の衣装」と言って自慢したい。そして一言でいい、ウタに「綺麗だね」と言ってもらいたい。
 ウタの奥さんが綺麗だったなんて話、聞きたくなかったくせに、自分から訊いてしまった事に酷く後悔をする。タイミング良くコンビニエンスストアに到着し、防雪のために二重になった扉をくぐった。

「お、これこれ、ちぃが好きだったお菓子だよな」
 ウタが手にしていたのは、梅味のお煎餅だった。昔から好きで、祖母の家でも、ウタの家でも、私のために必ず用意されていた。それをウタが覚えていた事に、少し安堵のような気持ちが沸く。ウタの記憶容量の中に、私が少しでも空間を持っている事が、嬉しかった。
「ウタが好きなのは鈴カステラだったよね。でも売ってないねぇ」
 私が棚を端から端まで見渡すと、背中側で「あったあった」と言ってウタは鈴カステラの袋をかごに入れている。
「自分達が好きな物を買ってどうするんだろうね、お茶菓子買わないと」
 そう言って少し大袋の菓子が並ぶ棚から、いくつか袋を手に取り、ウタが持つかごに放り込んだ。気を利かせたウタは、かごを床に置くと、ペットボトルの飲料を三本持ち、かごにスペースを作るとそれを入れた。
「あぁ、忘れる所だった」
「ほれ、メモ」
 ウタが私に見せたメモには、母の字で「お菓子、ジュース」と書かれている。
「お菓子とジュースだけなら、メモなんていらないのにね」
「でも今ちぃ、飲み物忘れてただろ」
 下唇を噛んでウタの方を見ると、ウタは「その顔」と言って笑う。
「悔しい時はそうやって、下唇真っ白にするんだよな、ちぃは。変わんねぇな」
 かごがいっぱいになると、ウタはレジの方へ歩いて行き、もうひとつかごを手にして戻ってきた。