inserted by FC2 system




 球技大会は、自分が所属する部活動の種目には出場する事ができない。咲、留美、幸恵の三人は人気種目であるバレーボールに出場するが、清香はバスケだ。男子四人もバスケに出場するという。
「今日は話せるんじゃないの、圭司と」
 留美は大きな目を殊更大きく輝かせながら清香の顔を覗き見る。長いまつげは扇状に広がり彼女の顔に華やかさを添える。
「え、別に急いでないし。つーか試合は男女別だし。うん」
「でも試合の合間とか、体育館で待機したりするんでしょ、チャンスあるかもよ」
 背の小さな幸恵は清香のTシャツを掴んで見上げるようにして言うので、清香は困ったような顔で笑う。
「別にいいよ、そんなの期待してないし」
 しかし本人のやる気とは裏腹に、清香以外の三人の方が何故か、清香と圭司が会話をする事を心待ちにしていると言う状況に、清香はほとほと困り果てていた。
 期待されると、プレッシャーがかかる。
 それぐらいの事は分かって欲しい。たかが会話だ。たかがクラスメイトだ。お互いが敢えて避けたりしていなければ、自然と会話をする機会は生じる筈。だから清香は別段急いでいないのだ。急いでいるのは、どういう訳か清香以外の三人。挙げるとすれば、優斗も、だ。
「じゃぁ私、一試合目だから」
 清香はタオルをひらりと振って見せると「時間があったら応援行くから!」と張り切った咲の声が聞こえた。咲の目当ては、体育館にいる清水先輩だという事が清香には分かっているが、形式的に手を振っておく。

 球技は得意な方だ。しかし清香はなるべくボールに触らないように、コートの端をほっつき歩いていた。だがバレー部のレギュラーである事は級友に知れている訳で、バスケだってそれなりにこなせるだろうと思われているフシがあり、清香めがけてオレンジ色のボールが容赦なく飛んでくる。
 仕方がなくドリブルで切り込んで行き、適当に放る。それがゴールネットを揺らそうが揺らすまいが、関係ない。部活以外の「チームプレー」に興味がなかったし、疲労する事も避けたかった。一回戦で敗退し、あとは審判や得点係をやって終わりになると踏んでいたのが間違いだった。無欲の勝利か、得点源になってしまった清香はクラスメイトから賞賛され、戸惑いの顔を見せる。

「おう、清香お疲れー」
 休憩をしようと体育館の二階席にあがると、そこに男子四人集が座っていた。もちろん、その仲に圭司の姿もある。
「何かすげー活躍してたじゃん。燃えてたな」
 茶化すような優斗の言葉に「あれが燃えてたように見えるのか?」と打ち返し、溜め息を吐きながら優斗の隣に腰掛けた。汗ひとつかかない涼しい顔で、コートに視線を向ける。
「男子は試合、いつなの? つーか優斗、ちゃんと試合出るんだよねぇ?」
 優斗と雅樹はずらかってもおかしくないと思い、清香はひとまず訊ねてみた。優斗は隣で腕のストレッチを始めた。
「出るよ、バスケおもしれーじゃん。次の試合、俺ら四人プラスひ弱な鈴木君のチームだから見に来てよ」
 鈴木君は何の変哲もないクラスメイトだ。確かに四人に比べるとひ弱に見えるけれど、確かバドミントン部に加入しているはずで、体育館で隣り合わせる事がある。二階席をぐるりと見回すと、少し離れた所にいるクラスメイトの中に鈴木君の姿を発見する。
「あぁ何か緊張して俺、小便したくなってきた。ちょっとトイレ」
 そう言って秀雄が立ち上がると雅樹がダルそうに立ち上がり「俺も連れション」と階段席を降りていく。
「俺はウンコ」
 優斗は清香の肩をポンと叩き、雅樹の後ろをついて行く。雅樹も優斗もジャージの裾を引きずって歩いている。あの格好でバスケをやるのかと、清香は絶望的な気持ちで彼らの後ろ姿を見ていた。
 背後に残る人の気配に気付かないはずがない。周りに人がいない空間に二人きりで取り残されてしまった清香は、わざとらしくその場を立ち去るのもおかしいような気がして、幾らか白々しく視線をコートに向け、試合を観戦しているフリをする。
 後ろにあった気配は移動し、清香の隣にふんわりと落ちてきた。顔を向けた隣に、圭司の顔があった。真隣で目が合ってしまった清香は、瞬時に顔を背け、こめかみから下がる後れ髪を無意味に耳に掛ける。
「さっき、試合見てたよ。清香、活躍してたな」
 清香、と呼ばれる事自体が初めての事で、驚きつつ「そんなでもないよ」と目も合わさず答える。動揺して、頬杖をついていた肘が膝からすぽんと落ちてしまった。咲の事は「川辺」と苗字で呼んでいたはず。自分は名前なのか、と少し優越を覚える。
「何かさ、高校に入ってから清香と喋るの、初めてだよな?」
 コートを見つめたまま無言で二三回頷くと、圭司は「んー」と悩まし気な声を上げる。
「俺の事避けてんの?」
 突として訊かれ、清香は思わず圭司の顔を見つめてしまう。何かを思い出したように途端に頭をぶんぶん振り、思いつくまま早口で言い訳がましく連ねた。
「何となくだよ、何となく喋る切欠が掴めなくて今に至る? みたいな。話す用事もなかったし? だって圭司だって私に話し掛けようとしなかったじゃん」
「何となく清香に避けられてる気がしてたから」
 対照的に圭司はゆったりとした調子で笑みを浮かべながら返すので、清香も今度はゆっくり、首を横に振ってみせた。圭司は「あ、そう」と目を見開き、何かがほどけるように笑う。
「これで誤解は解けたと言う事で」
 すっと差し出された手の意味が伺い知れず、清香は再び圭司に目をやると、圭司は「ん」と言ってもう一度、色の白い手をぐいと差し出す。やっと意味を理解してその手を握った。見た目よりずっとごつごつしていて、男の手なんて握った事がなかった清香は朱の射す頬を見られまいと、再びコートに目を移した。
「連れション、遅いね。あ、優斗はウンコだっけ」
「優斗はウンコだったな、確か」
 清香と圭司を二人きりにする絶好のチャンスだと思って、優斗は気を遣ってくれたのだという事が清香には何となく分かる。肩に置かれた優斗の手が物語っている。トイレの個室に入って何もせずにタバコでも吸っているのかも知れない。優斗は咲の言う通り、馬鹿だけど、ヤンキーだけど、心の奥底から優しい、と清香は感得している。
 そのうちぞろぞろと気怠げに、三人揃って席に戻ってくると同時に、一階のコートでホイッスルが鳴り、次の試合の準備が始められた。
 隣にいるのが優斗だったら、背中でもドンと叩く所なのだが、圭司だから、圭司の向こうに座ろうとした優斗の顔にめがけて「はい、いってらっしゃい」と声を飛ばす。優斗はちらりと清香に目線をくれると、にやりと笑う。その笑顔の意味を清香は当然、理解している。

「お疲れー」
 咲は汗まみれだった。今日は五月晴れを絵に描いたような日で、屋外の競技はまるで夏の様相だ。咲以外の二人も、頬が上気しているのが分かる。
「バレーボール、超暑い。つーか外、超暑いんだけどー」
 ジャージの上着をぶんぶん振り回しながら風を起こしす咲に、他の三人はぶつからないように離れて歩く。
「あれ、清水先輩の試合は見に行かないの?」
 咲に向かって清香が声を張ると「午後からー」と間延びした返答がくる。
「さっき先輩に会って、頑張ってください、ミャハってやってたよ」
 苦笑気味に留美が言うので清香は「そうか」と思いっきり苦笑してみせる。あれだけあからさまに自分の感情を表に出せるのが、咲の魅力なのかも知れない。清水先輩がそれに気付いてくれるといい。そう思いながら、すっと咲に目をやると、「そうそうさっきねー」と清水先輩に話し掛けたと言う話をそっくりそのまま聞かされ、清香以外の二人は声を殺して笑っていた。

 弁当を広げながらやにわに口を開いたのは清香だった。
「あのさ、さっき圭司と会話したから。って事を報告しとく」
「えー!!」
 素っ頓狂な声は奇麗なユニゾンで教室内に響き、清香は「うるさいっ」とピシャリ言う。
「何でそんな事になったの?」
 幸恵は何だか座り心地が悪そうにもぞもぞしながら清香の方へ顔を寄せるので、清香は「顔近いよ」と苦笑しながらと手で遠ざける。それでも幸恵は物欲しそうな子犬のように目をキラキラさせている。
「体育館でね、圭司以外が連れションに行っちゃて二人きりになったから、そういう雰囲気になって喋ったってだけ。と言うわけで、以降は気を遣わなくていいから」
 パチン、と手を一度叩いた咲は、はち切れんばかりの笑顔で「あとは告白だけだね!」と言って白米を頬張った。随分飛躍した思考に、清香は目眩を覚える。
「それはずっと後の話だし、ずっとしないかも知れないし、今話す事じゃないでしょ。どっちかってと咲が清水先輩に告白する方が先でしょ」
 清香の言葉に頷き、少し頬を赤らめながら咲は一口お茶を飲むと、意を決したように言い放った。
「私、決めた。今日清水先輩を呼び出して告白する!」
 あんぐりと口を開けた三人の口から「マジで言ってんの」と足並みを揃えたように声が出た。
「マジです。大マジです。優斗にお願いして呼び出してもらおーっと」
 今からかよ、と留美が突っ込むが、咲の頭の中はもう告白の事だけで占められているようでその後の会話は上の空。食堂から戻った優斗が教室に入ってくるなり「優斗!」と席に呼び、約束を取り付けている。咲曰く、清香が勇気を出して圭司と話した事が、告白への勇気に繋がった、との事で、勿論清香は勇気を出して圭司に話かけた訳でもなく、咲を勇気づけたつもりも更々なく、この告白が失敗に終わったときの事を考えると酷く憂鬱になった。
 清水先輩を呼び出すと約束した優斗は咲に向かって「頑張れよ」とだけ言い、視線を清香に移す。
「清香、お前やっと喋ったみたいだな、あいつと」
 口の中身を嚥下すると「誰かさんのウンコのお陰でね」と清香がわざとらしい笑顔と共に付け足す。優斗は意味深長に笑いながら掃除用具箱の前にある自席に歩いて行った。
「え、連れションじゃなかったの? 優斗はウンコだったの?」
 留美が清香の対面から声を上げ、「多分連れションだと思うけどね」と清香が留美を見遣ると、彼女は腑に落ちない表情を見せた。

 午後は決勝トーナメントが行われた。清香が参加している女子バスケチームは決勝に進出し、清香としてはこれほど面倒な事はないと頭を抱える事態だった。決勝となればギャラリーが増える。目立つ事は嫌いだ。なるべくならボールに触れたくないと思ってしまう。
 準決勝が行われている空き時間に、隣のコートの試合を見る為に二階席に上がると、咲達三人に出くわした。
「何やってんの?」
「あ、清香。決勝出るんでしょ? 応援行くからね、清水先輩が負けたら」
 咲にとって清香の応援は、清水先輩の応援の「ついで」でしかないという事は明白で、「はいはい」と軽口叩いて苦笑する外ない。咲の視線の先にはパス回しをする清水先輩が動いている。そのまま周囲に目をやると、見知った顔が揃っている。清水先輩のクラスと、清香のクラスの準決勝だ。
「咲、どっち応援すんの」
 清香は大凡分かりきった質問を咲にぶつけてみると、当たり前のように「清水先輩」と返ってくる。
 ひんやりとした鉄柵に掴まってコートを見る。圭司は肌の色が白い。浅黒い優斗と並ぶと対照的だ。優斗の視線が清香達を捉えたようで、こちらに手が振られる。清香が「ちゃんとやれー」と優斗に声を掛けると、留美と幸恵もそれに追随する。何と無しに視線を圭司にやると、偶然にも目線がかち合ってしまい心臓がドキンと一度だけ跳ねる。自分の身体の事ながらその瞬発力に驚愕する。
 試合中「清水先輩ー!!」と大声で叫んでいるのは咲だけで、先輩のクラスの女子生徒から、視線が痛いほど飛んできた。きっと清水先輩はクラスでも人気があるのだろう。必ずしも好奇の視線だけではない事が分かる。清香も留美も幸恵も、咲から一歩ずつ離れた。
 試合は一進一退の攻防戦となり、なかなかの見応えだった。圭司と優斗はやはり運動神経が良いのだろう、得点源となってネットを揺らしていた。鈴木君は殆どボールに触れる事なく、残る四人でパスを回している。清香としてはバドミントン以外のスポーツをしている鈴木君も見てみたかった。しかし結局男子は準決勝で負け、清水先輩のクラスがそのまま決勝戦で勝ち、優勝した。決勝戦を行っている清香の耳に、咲のつんざくような黄色い声が届いた。
 清香は決勝に出場するも、やる気満々の相手チームとは違って得点源の清香がやる気を見せないので、点は入るものの相手に追いつく事はできず、準優勝で幕を閉じた。

 試合を終え、教室に戻る途中、背後からぞろぞろと男子四人が歩いてきた。本来なら男子決勝の審判をしなければならなかったのに、鈴木君に押し付けて、清香が出場していた試合を見ていたらしい。
「お前、本気でやんないのな、ほんと」
「だってこの後部活もあるし、疲れるじゃん」
 優斗にちらりと目をやると、頭を軽く叩かれ、思わず目を瞑る。「思考が黒過ぎ」と優斗は笑う。
「清香って真面目なのか不真面目なのか分かんないよなー何か」
 自分に向けられた声なのに、「清香」と呼ばれた名前を今一度咀嚼してからでないと飲み込めないその声の主は、圭司だった。また心臓が反応し、その事自体に狼狽える。
「至って真面目だよ、部活では、うん」
 清香のたどたどしい言葉を聞いてケタケタと笑う圭司の声に、清香も控えめに追従する。
「授業とかもさ、そんなに真面目に聞いてる感じじゃないのに勉強できるし、不思議だよな」
 自分の授業態度について圭司が把握しているとは思っていなかった清香は、少し驚いた顔で圭司を見た。
「何? ちゃんと授業聞いてるよ、失礼な」
「嘘つけ、しょっちゅう川辺と手紙まわしてんじゃん」
 言い逃れが出来ない事実を突きつけられ、ヘラリと笑ってみせる。そういう圭司なんて殆ど寝てるか、明後日の方を見ている事を、清香は知っている。そんな日常的な圭司の姿を、無意識で周辺視野に捉えてしまうからだ。


web拍手 by FC2