5 ヨーグルトの物理 浅い眠りから目が覚めた。 熟睡感が殆どなく、なかなか身体を起こせない。目蓋が、重くのし掛かる。 昨日のアレは、何だったんだ。 私に何を期待しているんだ。 ああ、面倒臭い。彼女がいるならそれでいいじゃないか。 何で私なんかに――。 鉛のように重い身体を、トリモチから引き剥がすように起こし、キッチンへ向かう。 コーヒー豆を電動ミルで挽き、コーヒーメーカーにセットし、コーヒーを淹れる。 コーヒー好きにとってこの作業は面倒ではない。 朝1杯のホットコーヒーを飲んだ残りは、冷蔵庫で冷やしてアイスコーヒーにするのだ。 コーヒーを淹れる間に食パンを1枚焼く。 そしてその間に蜂蜜をかけたヨーグルトを用意する。 めんどくさがりでも、朝ご飯はキチンとしている。 朝ご飯を食べている最中も、高橋君の言葉が耳を離れない。耳なし芳一の如く、耳だけ切り取ってしまいたい。 浮気を3度もした、元夫を思い出す。 性格は違えど、やっている事はアイツと同じではないか。 そんな風に高橋さんを詰ってやる事が出来たらどんなにラクか。 ただ、それができなかった。 あのキスを、避ける事は出来た筈。 キスをされて不快なら、ビンタの1発でもお見舞いしてやる事だって出来た筈だ。 なのに身体は動かなかった。 私は彼に、惚れている? スプーンからヨーグルトがボタリとパジャマに落ちた。慌ててティッシュで拭うが、水分がパジャマの綿に吸い取られ、柔らかだったヨーグルトは徐々にその身を固くしていく。 当面の問題。 「仕事がやりにくい」 お昼前、会社の最寄駅で中田さんと待ち合わせをした。 今日は小振りのコバルトブルーの石がついたピアスに、茶色い巻き髪、鶯色のスカートに白いシャツを着ていた。何を着ても絵になる。 私はデニムに――以下省略。 叶う筈もない美しさに、少しの羨望と、少しの嫉妬が綯い交ぜになって、ぎこちない笑顔で挨拶をした。 彼女の自宅の最寄駅と、私の勤める会社の最寄駅は同じだった。 訊いてみると「会社も駅の近くなの」だそうだ。便利で良いな。 昨日、高橋君に突然キスをされた、あの場所に目が行く。 一瞬足が止まってしまった。 案内されたカフェは「ディーバ」というカフェで、床から天井に伸びた大きなガラスから、外が一望出来る。 「アボカドのサラダ丼がイチオシらしいよ」 レジで並んでいると中田さんが教えてくれた。 あれやこれや選ぶのも面倒で、言われた通りのアボカドサラダ丼と、カフェラテを頼んだ。 「急にゴメンね。何か友達が出来たら居ても立ってもいられなくなっちゃって」 正直に思った事をスラスラと吐露し、実行する中田さんが羨ましかった。私も本音だけを吐いて生きていけたら。 「落合さんは、予定大丈夫だったの?彼氏とか、居るんでしょ?」 何故それが前提なのか、私には理解できない。 「いないから、そういう人。中田さんはいるんでしょ?」 中田さんは目を伏せながら、細くスラリと伸びた指と指を絡ませていた。 「いるけどね。最近は会う回数も減って来ちゃったかな。私ね、逆プロポーズしたの」 ひゃぁぁー!可愛い顔して積極的なのね。驚いて目を丸くした。 「で、彼は何て?」 俯いたまま顔を上げようとしない彼女を見て一瞬、地雷踏んだかと思った。 「いずれはそういう関係になるとは思うけど、今は仕事に打ち込みたいからって。軽く断られちゃったかな」 ちょっと悲しげな顔で微笑んだ。何とかこの状況を脱しようと、頭を捻った。首が1回転するかと思った。 「でもさ、仕事がひと段落したら、って事でしょ。明るい前途がまっているじゃないのさ!」 割り箸でテーブルをバシッと叩いた。 先程とは違う、少し照れの入った微笑みで、「そうかな」と呟いた。 アボカドのサラダ丼が思いの外美味しくて、次回来た時のために他のメニューも見ておくことにした。 「次に来たらこれがいいな」 「こっちもいいんじゃない?」 暫く彼女との会食場所は、このカフェになりそうだ。 その後は高校時代の思い出を語りながら、ゆっくりカフェラテを飲んだ。 |