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「施設でも誰にも話した事無いよ、こんな事」
 話をしている間、浩輔は一度も泉に視線を遣らなかったが、すすり泣く声が聞こえているのは分かっていた。
 泉は、小学生の頃に、自分と同じ年の子が、親を殺した事件をニュースで見た事を思い出していた。その時は何となく、彼に同情していた。
「泣かないでよ。知りたいって言ったのは泉ちゃんでしょ」
 泉が引いた椅子に腰かけ、脚を組んだ浩輔は、ズボンのポケットに入っていたタオルを泉のスカートにぽんと乗せた。
「トイレで使ってないから、まだ綺麗だよ」
 泉は顔をくしゃりと歪めて笑ったような顔をして、また嗚咽を漏らし始めた。浩輔は困ったとばかりに短い髪を握って頭を垂れた。
 泉の口から、くぐもった声が漏れた。
「みんな、同じだよ」
 浩輔は少し頭をあげ、泉を見た。タオルで顔を覆っている。
「みんな、自分の事が一番で、自分を守りながら、生きてるんだよ」
 タオルを顔から外し、泉は真っ赤になった目を浩輔に向けた。
「自分を守る事で必死なんだよ。私だってそう。失恋して可哀想な奴だと思われない様に、わざと明るく振舞ったり、好きでもないのに、友達関係を壊したくないからって大輔と付き合ったり、本当に好きな人が目の前にいても、周りを気にすると告白も出来ない。みんな同じ、自分を守るのに必死なんだよ」
 震える声で言葉を紡ぐ泉は、浩輔の視線を探すが、彼は俯いたまま顔をあげようとしない。呟くように小声で「うん」と返事をするだけだった。
「だけど私達が守ろうとしてる物なんて、小さな小さな事ばっかり。たまたまこう君は、自分の命っていう大きな物を守らなきゃいけなかった。その為にはそうするしかなかった。そういう事なんだよ。そうやってみんな、必死に自分を守りながら、生きて行くのが人間らしい事だと、思う」
 浩輔が長い溜息をもらし、そして顔を上げた。彼女のいう事は綺麗事なんだ。色の白い顔からは残り少ない血色も消え失せ、まるで蝋人形の様だった。
「人を殺してまで、自分を守るって言うのは、人間らしい事じゃないでしょ」
 泉の双眸から再び生ぬるい液体が溢れだし、彼女はよろよろと立ち上がり自分の机に歩いて行くと、鞄の中に濡れたタオルを入れ、代わりにタータンチェックのハンカチを取り出し、椅子に戻ってきた。
「殺さなかったら、今、こう君はここにいないかも知れない。それに、人を殺した事については、今まで更生施設で十分罪を償ってきたんでしょ。その為の更生施設でしょ。そして今でも苦しい思いをしてるんでしょ。それで十分じゃない? まだ足りない?」
 肩を震わせる泉は普段より小さく小さく見えた。浩輔は抱きしめてやりたい衝動に駆られたが、手が伸ばせなかった。俺は幸せになってはいけない。泉のいう事は所詮、綺麗事に過ぎない。
「駄目なんだ。俺は幸せになっちゃいけない」
 泉は片方の手で、スカートをぎゅっと握った。震えが止まらない。
「どうしてそんなに頑ななの。もう贖罪は済ませて来たでしょ。これからは一人の高校生として、勉強して行きたい大学目指したり、恋をして好きな人に好きって言ったり、誰よりも高く飛べるように毎日練習したり、自分の幸せだけを見据えて生きて行けばいいんだよ。こう君が不幸になる事で、幸せになれる人なんていないんだから」
 浩輔は短い髪をぎゅっと掴むと、泉と視線を合わせた。初めに口を開いたのは泉だ。
「こう君の人生だから。こう君が決めていいんだよ」
 浩輔は古い掲示物を机にトントンと叩きつけてまとめると、立ち上がって歩いて行き紙ごみ用の箱に捨てた。
「部活、行こう」
 わざと明るい調子で声を掛けてみたが、泉はその場から立ち上がれずにいた。浩輔は彼女の所へ歩み寄る。
「立てる?」
 泉はこくりと頷いて立ち上がるが、ハンカチを口に当てたまま、目を腫らして震えている。ため息交じりに「うーん」と声を出した浩輔は「ちょっと、ここで待ってて」と言って教室を出た。
 泉は再び椅子にへたりこんで、浩輔の話を思い出しては涙を流した。そんなに痛い思いをして、そんなに苦しい思いをして、やっと解放されて、それでも罪の意識は消えなくて、法的に裁かれ、贖罪したのに、どうしてまだ、自分を許してあげられないのか。理由なんて、泉に分かる訳も無かった。だけど、幸せにする手伝いなら出来るはず。彼の後押しがしたい。